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雨の日のグールド

今から二十年ほど前。記憶障害を患ってしまった主人公がポラロイド写真やメモ、あるいは体中に彫られたタトゥーといった物理的な痕跡を頼りに妻を殺した犯人への復讐に突き進む物語を描いた映画が公開された。その映画の《時系列を逆行しながら事件の真相に迫っていく》という手法が当時、話題になったことを今も憶えている。

これまでに発表されたスタジオ・アルバムを最新作から昔の作品へと遡る。音楽家・坂本龍一氏の歴史をCDで振り返ろうとする行為は、まさにこの映画のようだった。なお、過去の作品を集めるにあたり、オリジナル盤のリリースされた時期が古くても新品を揃えることにこだわった。元の音源にリマスタリングを施して再販になっていることもあるからだ。選べるのなら、やはり少しでも音質のよい方を手に入れたい。


廃盤となっているいくつかのタイトルを如何にして手に入れるかは思案のしどころだったが、これはCDやDVDも扱う新古書店のアプリ会員になることでなんとか解決の糸口が見つかった。オンラインストアに在庫が無くても、リアル店舗には入荷している場合があり、このアプリで全国にあるチェーン店の店舗在庫を知ることができる。目的とする商品のためだけに、各地に点在するその新古書店をわざわざ訪れることはしないが、出張の際、訪問先の近隣にある店舗とそこに探しているタイトルの在庫があるかを事前に調べ、あれば仕事終わりに立ち寄った。

全19タイトルをひと通り聴いて感じるのは、坂本龍一氏が自伝の中でおっしゃっている「作品ごとの趣向がバラバラで、アーティストとしての統一感がない」というのは言い過ぎだとしても、同氏の音楽家としての活動の歴史がいくつかの地層から成り立っているということ。ひたすらアバンギャルドを突き詰めた初期の頃のアルバム。新境地を見出そうと挑戦したポップス路線とその反動から生まれたオーケストラ作品。そして、坂本龍一氏の原点であるピアノ音楽を中心としたアルバムへの回帰。


僕個人的には、楽曲の《静謐さ》がより鮮明になった、17枚目のスタジオ・アルバム『アウト・オブ・ノイズ』以降の作品に強く惹かれるが、この世に残されたタイトルは本作を含め、わずか3枚。今日はその寂しさを紛らすために、坂本龍一氏が敬愛した天才ピアニスト、グレン・グールドの演奏の中から、坂本氏が独自の鑑識眼で選んだ曲を集めたアルバム『グレン・グールド 坂本龍一セレクション』を聴いていた。

その途中、グールドの演奏に何度も坂本龍一氏の姿が重なる。それはまるで、村上春樹氏が翻訳を手掛けた海外小説の文章の様式に『村上春樹』を色濃く感じるのにも似た感覚だった。坂本龍一氏はどれほどグールドを愛していたのだろう。CDプレイヤーがDISC2の再生を終えたとき、僕は窓の外の雨音に耳を傾けながら、そんなことを考えていた。





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