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おやすみプンプンを読んでしまった

おやすみプンプンがどんな漫画か。
具体的なあらすじとかはまったくだったが、とにかく「読むと鬱になる」らしいってことだけ知っていた。
それで、実際に読んだ感想だが、『おやすみプンプン』は思っていたよりも辛い・苦しいだけの話じゃなくて、意外とアハハと笑えるほどユーモラスで、暴力性はあるけど命の価値を下げるほどじゃなくて、悲劇があっても大体は救済があった。
だけど、その、そこまで露悪的じゃない世界観はむしろ、読者と作品の距離を縮めていて、読者の現実と接続しやすくなってるんじゃないかと思う。でもやっぱりフィクションだから、現実との差異が際立って見えて、だから「読むと鬱になる」のかもしれない。
かくいう僕もそうなんすよ。面白かったけどね。

主人公のプンプンがラクガキみたいなキャラとして描かれているのは、「人間らしくない姿だからこそ多くの読者が自己投影しやすい」という誰かの主張を聞いた記憶がある。
実際そうかもなと思う。プンプンはどうしようもないゴミクズ、ってわけでもないが、取り立てて良い人でもなく、人間なら誰しもが持ってるような「弱さ」が詰まっている。なので簡単に自己投影しやすい。
さて、プンプンが人間の姿だったらどうだろう。それでも多分自己投影してしまう気がする。しかし、「プンプンという人間の物語」という性質が強まって、「どこかの誰かの話」として受け取ってしまうだろう。
漫画の主人公に自己投影するなんてよくあることだが、それでも結局自分とは異なる「一人の人間」の話だ。ラクガキみたいなプンプンは「一人の人間」のように見えないから、スルスルと自己投影できてしまう。
矛盾するようだが、プンプンは非現実的だからこそ自己投影しやすい。

けれど、プンプンは田中愛子という運命の人を見つけたし、南条や三村たちのような理解者に出会えたし、アレとかコレとかどこが退屈なんだよお前の人生は、ってなる。
プンプンという存在は、持ち前の「弱さ」で俺のことを惹きつけといて、漫画にして13巻にもなるほど濃密な過去・体験で俺を突き放していきやがった。

小学生編は純粋にプンプンを応援していた。
辛いことがあっても強く成長しろよ!って気分だった。
中学生編はすげぇ切なかった。
仲の良い連中は変わっちまったし、矢口先輩は超良い奴だし、結局愛子ちゃんを選びきれなかったプンプンを情けなく思うも共感しちゃうし。
高校生編はクソ腹が立った。
プンプンなりに高校デビューしてるの見て段々プンプンと俺との距離が遠ざかった。なんだよお前、愛子ちゃんはどうしたんだよ。母ちゃんとはやっぱりうまくいかねぇしさ。
一人暮らし編はもう頭がどうにかなりそうだった。
社長という素晴らしい人に出会えて、三村と一緒にバイトして、南条って子とうまくやって、もう幸せになっちまえよプンプン。でも結局ぜーんぶうまくいかない。釈迦似の編集者に「原作いらなかったでしょ?」て言われるとこが一番キツい。

愛子ちゃんと再開してからはウッヒョ〜!っと興奮しっぱなしだった。
変わってしまった(ていう嘘をついていた)愛子ちゃんを見た時は、このモラトリアム野郎をバッサリ断ち切ってくれ! もう愛子ちゃん訪ねて三千里みたいな感傷に浸る時間を終わらせよう! と叫んでいたが、プンプンが正直に洗いざらいゲロって、愛子ちゃんが「今度は殺すから」って言ってくれた時は、もう捨てたはずの小学生編の思いが蘇ってきて、今度こそプンプンを応援しようと思った。

タクシーの中で南条が通り過ぎていくのを見て「もう戻れない」ことを悟るプンプン。このシーンを読んで、この漫画は主人公が何かを捨てていく過程を描いていたのかなと思った。
一般的な漫画だと、主人公が何かを獲得する過程を描くけれど、『おやすみプンプン』はこの瞬間に至るまで、プンプンが持っていた何かを一つずつ捨てていったように思う。
その何かが実際何かと言われたらよく分かってないんだけど、この後で愛子の母を殺すことができたのは、プンプンが愛子ちゃん以外の全てを捨てたからじゃないのか。

プンプンが愛子の母の首を絞めるとき、シルエットだけだが人間の姿に変わる。この演出はどこかでやると思っていたが、バッチリ決まっていた。
正直この漫画、プンプンがあのラクガキ姿じゃなかったら、グロテスクすぎて読めなかった。プンプンは非現実的だから自己投影しやすいのであって、人間姿のプンプンは自己投影するより先に気色悪さを感じるだろう。
殺人を犯したプンプンの気持ちを理解できないわけではないが、人間の姿をした彼に自己投影なんて決してできない。あの瞬間からプンプンは「一人の人間」になってしまったのだ。「おはよう、プンプン」ってそういう意味?

プンプンと愛子ちゃんの逃避行。
ようやく二人だけの時間を手に入れたことの祝福と、この時間は長続きしないんだろうなって不安感と、ここまで堕ちても二人は分かり合えないことへの寂しさが混ざり合って、読んでてとても楽しかった。
この逃避行の始まりから、記憶の中の愛子ちゃんと話をするプンプンまでは、何回も読み返してしまうなと思う。ここだけは自己投影できないから苦しまなくて済むし。

自殺できなかったプンプン。自殺してしまった愛子ちゃん。
両者の違いは失うものがあったかなかったか、だろうか。
プンプンは結局トドメを刺していなかったし、彼を探してくれる人が何人もいる。愛子ちゃんを探す人は誰もいないし、最大の繋がりを自分で絶ってしまった。身体の傷の深さ的にも、愛子ちゃんはプンプンより圧倒的に崖っぷちだ。
ただまぁ、プンプンが自殺するのも時間の問題だったとは思うけど。その前に南条が間に合っただけで。

南条がプンプンを見つけるために過去を遡っていくの、めっちゃ好きだ。プンプンが捨ててったものを南条が拾い集めていって、プンプンの父親まで行き着く。南条が愛子ちゃんとは対照的にプンプンのことを理解していくその過程が、すげぇ好き。あと今までの全部が繋がっていく快感がある。

でも正直プンプンには死んでほしかった。愛子ちゃんと死んでほしかった。プンプンだけ救済が、未来があったのに、愛子ちゃんにはないのっておかしくないっすか? 愛子ちゃんの世界がどうやったって詰んでるから、ってのは分かりますけどね、でもそんなの悲しいよ。
愛子ちゃんが救われるルートをざっと百通り試してみたけど僕には分かりませんでした。じゃあやっぱりプンプン死んでくれ。

でもなあ、七夕の日に愛子ちゃんを必死に思い出そうとするプンプンのことめっちゃ好きなんだよなあ。
死んだ人間の記憶って写真や映像がないと、顔も声もすぐに忘れてしまうらしいけれど、遠い過去になった愛子ちゃんを思い描いて、「君が遠いんだ」って呟くとこで泣いてしまう。
駐車場でクルクル回ってワンピースをひらひら揺らす愛子ちゃんを見てるととても切なくなる。プンプンに背を向け誰もいない遊園地へ歩いてく愛子ちゃんにさよならなんて言わないでほしい。
1と0の世界で永遠に愛子ちゃんを構築しようよ。

なんだか、プンプンと愛子ちゃんの話をしたいだけしたら、他の話とかどうでもよくなってきたな。
他にも、プンプンと愛子ちゃんの関係は叔父さんの過去と重なってたんだなあとか、ペガサスなんたら騎士団のこと結局よくわかってねぇとか、中学生編以降矢口先輩出てこねぇじゃねぇか会いてぇよとか、三村はいつか良い女の子と出会うんだろうなと思ってたら想像の百倍良い子見つけてきやがってゲス美かわいいなとか、考えてたけど。
あとは人の感想見て満足し〜よおっと。

実際はもっとコンプ刺激されてるんすけど、後でこのノート読み返したくなくなるんで忘れることにします。それでは、


おやすみ、プンプン。


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