見出し画像

数の子

ご存知、「数の子」はニシンの卵。
運動会で「ソーラン節」を踊ったことがある人もいるだろう。
北海道でニシン漁が盛んだった江戸時代から昭和の初期、
漁の歌としてソーラン節が生まれた。

「かどの子」が訛って「数の子」となったのが語源だそう。
見た目がイワシと似ており、イワシは頭が丸いがニシンは角ばっているため
別名「カドイワシ」と呼ばれていた。その卵なので、かどのこ、らしい。

お正月のおせち料理でしかお目に掛からない人も多い、数の子。
『祝い肴三種』とは、黒豆・田作り・数の子を指す。
数の子には子孫繁栄の願いが込められている。

江戸時代、緊縮財政を迫られた享保の改革【享保元年(1716年)-】が
人々の生活を苦しめた。だが 徳川 8代 将軍 吉宗は、

「お正月だけは、富める者も貧しい者も同じものを食べて祝って欲しい」という願いから、数の子をおせち料理に加えるのを推奨した。そのため、江戸市中では入手が容易(著しく高価では無く倹約の対象にならないもの)だったと考えられる。

Wikipedia

なかなか憎いことをする吉宗である。
数の子は別名『黄色いダイヤ』とも呼ばれる。
民衆も正月くらいは日頃の苦労や遣瀬ない憂さを晴らしたいだろうし、
1年無事に過ごせたことへの安堵や感謝もあるだろう。
数の子はお重の中で、人の心に輝きを灯す宝石のようだ。

数の子の歴史が面白くて、殆ど拾った情報になってしまっている。
『寄合酒』の数の子に少しはフィーチャーしなくては。

元々は上方落語であり、明治に東京に移入された噺だ。 原話は1628年寛永5年)に書かれた笑話本醒睡笑』の一編「児の噂」らしい。

日本で流通している数の子は、
干し数の子」「塩蔵数の子」「味付け数の子」である。
干し数の子」>「塩蔵数の子」>「味付け数の子」の順で
高級とされていて、干し・塩蔵はそのまま食さず一度水に戻し、
塩抜きしてから食用にする。
塩数の子が普及するのは1900年代以降だそうだ。

時代を何時に設定するかで変わってくるが、
元々話が成立した時に出て来る数の子は、
おそらく干し数の子ではないだろうか。……高級品の干し数の子?
『寄合酒』の長屋に住む町民は、貧しい。お酒の金を出すのも惜しむような連中が手の出る品では無いのだが……が、ここは数の子が干しだったか塩だったかなぞ考えを巡らすのも野暮なのだ、と落ち着いた。
肴の手に入れ方が、手練手管なので。

んなアホなこと考えんと思えも呑も!と誘われそうな雰囲気が ある噺である。だから正月にぴったりなのかも。

創作の製作過程を覗きみて、楽しんでいただけたら。