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闇の始まりは何時から③

~スカートは隠れ蓑?~

を書いてみて私なりに考えたこと。ご結婚のお相手の選択肢が限られたとはいえ正田美智子さんを選んだことは、少なくても後の国民にとっては不幸なことだったと思う。明仁皇太子の女性観ってどうだったのだろうか?
明仁皇太子はのちに「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」と心情を吐露しているが、家庭へのあこがれはあっても伴侶への明確なものが  なかったようだ。昭和天皇には5女(お一人は早世)2男がおられ、明仁皇太子が触れ合ったのは母親と4人の姉、女官で、長姉の照の宮とは8歳離れている事を見ても幼少期はかしましい年代の姉たちに囲まれ、しかも会えるのは週1回あるかどうかの環境だったことを考えると面倒に思ったかも・・
姉たちに世話を焼かれたりからかわれたりした?ウザい?苦手?
9歳離れた私の下の弟が、これに近いことを言うものだから・・・

下の資料は①と同じに見えるが内容は別の部分です。

明仁皇太子の女性観を、私なりに色々探して読んでみたが、これというものは見当たらなかった。ただ見た目重視の普通青年のように感じた。

これは教育の落とし穴だったのでは?
憲法順守や民主主義、天皇としての心構えを教えても将来、国母となる伴侶についてふさわしい方についての基準は教えられなかったのでは?
ヴァイニング夫人は平等や自分で判断、考えることを教育の柱にしたようだが、天皇の神格化の否定がアメリカの課題で天皇家の特殊性、伝統については理解していただろうか。

明仁皇太子の周囲にいた教育係や侍従などは、年齢から推測しても女性は家で家庭を守る、子供を産んで育てるという考えにまだ縛られた方たちだろうと思うと、お妃の役割を軽視してはいなかったかと思う。良家であればいいぐらいにしか考えてなかったのでは?
そしてそれは明仁皇太子にもあったのでは?

そうした教育が普通の青年の恋愛もどきを作り上げられた一因のように思える。

下の資料には隠れてお妃候補を見に行った話がある。

いわゆる良家、貴族、華族のお妃候補に逃げられ、明仁皇太子はプライドが傷つくばかりでなく天皇家という特殊な家の重みを感じたのではないか。
選ぶのは自分と思っていただろうから予想外で、結婚が難しいかもと現実を知ったと思う。

ここに小泉信三氏が働きかけ、正田美智子さんが入内の運びとなる。私はこの結婚には多分、政治的な介入もあっただろうと思っている。アメリカの機嫌を無視できない官邸が、裏で動いたのでは?そうでないと正田富美子氏の「約束があまりに違った」という発言はないのではないか。

私には今上陛下のご結婚のような主体的なものを、明仁皇太子からは感じられない。どことなくよきに計らえのようなものを感じてしまう。

結婚後の色々な問題はさておき、明仁皇太子は美智子妃の問題点も気が付いたはずで、昭和天皇皇后ですら気が付いたほどなのだから。
明仁皇太子はどうしたか?傍観者になったように思える。
触らぬ神に祟りなし・・姉たちとの交流の経験から深入りはしないと学習していたのでは?

一方で明仁皇太子は、美智子妃の人気を決して面白くは思っていなかったと思う。面白くはないが二人で出かけると皇太子、天皇としての存在確認はできる…ということではないか。

ここまで書いてみて、積極的な女性に辟易していたにしても雅子皇后陛下へのいじめや、敬宮様へのそっけない対応の理由がわからない。
半面、悠仁君については

悠仁は虫に興味を持って、『これは何という虫?』とよく聞くんですよ。私はすべて教えました。子どもっていうのはかわいいものですね。本当にかわいい                                                          下の記事より一部抜粋

さあ、また横道に入り始めましたよ、私は・・

 
女性観の結論は、よくわかりませんが見た目とおとなしい方が好みのようで、言い返すような(上皇后はヒステリー気質のようですので)口の立つ方は苦手のようですね。世の中うまくいきませんね。ただ美智子さまは格好の隠れ蓑で都合がよかったかもしれません。象徴天皇を探るといいつつ、人前に多く出て天皇としてのプライドと自己満足を果たせましたから。
まだ足りないのかな??

仲睦まじくしてるようで実際はどうでしょうか?


  今日も長くなりましたが、読んで頂きありがとうございます。❤️


 *付録です。田島侍従と昭和天皇のお話を記録したものです。面白かったです。降下した娘の伴侶の心配や明仁皇太子の進学問題、大学の左翼化、カキの食べ過ぎでおなかを壊したことなど、父親だなあと思いました。

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