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二人皇后についての読者からの貴重な証言

拙ブログの記事に対して、読者様から貴重な情報を得ました。

この方は、2009年には皇后二人の話がされていたこと、企業が絡んでいたことを知って欲しいとの思いで私に知らせてくれました。

その文の紹介の前に、皇位継承順位が正式に決まって国民に知らされたのは2019年5月1日以降だということを先に述べておきます。

私が感じたことはあとで述べますね。
【2009年7月22日場所ムンクの叫びがある北欧の美術館
ハンドバック以外もの全てロッカーに入れて下さいと言われている時 連れの友との会話で
「今後(その頃の)皇太子が海外に行く時は紀子さんがついて行く」
「どうして?」
「だって雅子様は鬱病なのよ 海外に行って迷惑かけては困るから」
「鬱病は美智子様と紀子さんが作ってるのよ、お正月の一般参賀の時の雅子さまを見る目つきが可笑しいじゃない。雅子さまと紀子さんでは持ってうまれた気品が違いすぎる」

言われた場所と時間がハッキリとフォトに残っていて良かったと思います。

2012年4月27日上高地、開山祭の前日です。
昼食のため仲間たちと入った清〇ホテルでの知人の話。
「今後皇太子は天皇になるけど雅子さまはご病気なので お出かけの際は紀子さんが同行して皇后の役目を果たすんだって、よかったわ」
私は前にも聞いていたのでこれは変と感じ すぐさまその方にも聞こえるように 
「なんであんなに品のない人がついて行くの 日本の恥ねえ」と。

この時もですが、2009年の会話の中でも言われていたのが、
「皇太子が天皇になって次は悠仁が天皇になり 紀子さんが国母になる」とのことでした。

2,009年頃からキーコが国母になると騒いでいました。この頃にはすでに証券会社や銀行関連に勤める方たちの中では話題に上がっており、そうなるかのように話されていました。】

以上です。

皆さんはなにを感じたでしょうか?
私は2009年という日付に注目しました。
明仁天皇が、ごく近い方々に退位の話をしたとされるのが2010年でした。2006年に悠仁さんが生まれたのですが当然、皇位継承をさせるための企みで、産み分けなどという倫理的なものを無視して男子をもうけたわけです。生まれた時から、皇位継承者にするため、国母となるため、皇后となるための企みが始まったのでしょう。水面下で世論誘導を進めたのだろうと私には思えます。

誰が計画したのか?という疑問と、世論誘導は誰が?という疑問が湧きます。


皇統の移動を考えたのは、当時の皇后であると思います。秋篠宮に移したいからです。

ここからは私の推論になります。
そもそも結婚させる気のなかった皇太子様が結婚し、皇太子様、雅子妃殿下に敬宮様がお生まれになったことで、皇統移動はうまくいかないことになりました。敬宮様の誕生に際して秋篠宮は記者会見で
「もし娘ならうちに二人いるのでその内の一人になってほしい」と発言、この会見内容は宮内庁にも探せませんでした。
焦って不貞腐れた発言ですね、男子が産まれたらと不安だったのだと思います。

敬宮様が女子だったため、男子ならば皇位継承がスムーズにいくと考えたのでは?

秋篠宮家に男子を、という考えは川嶋氏や紀子さんには渡りに船だったでしょうね。

悠仁さんが生まれた後、早い時期から悠仁さんが天皇になる、紀子さんが国母で皇后になる、そんな話が巷で言われるように世論誘導を図ったのだとしたら?

読者様の情報にある企業も絡んでという部分については、私はこう思ってます。証券会社や銀行といえば、美智子さんの後ろ盾を思うのですが、メジャーではない地方銀行だったようでした。このことから。巷に早く広げるには、宗教がらみではないかと思ったのです。そして、イニシアチブは川嶋氏ではないのかしら?
川嶋氏の母親は、創価学会と深いつながりがありますから・・・
 あくまで私の推論です・・・

   今日はここまで

       今日も読んでいただき有難うございます。❤️

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