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⑶ 妨害と奇妙な符合の意味~天皇のクーデター~

さあ、新年までいよいよ押し迫ってきましたよ。なんとなく車の量が多く
あわただしいのか余裕のない運転をされる方を見かけると心配になります。

記事を書く前に誤らなくてはなりません。⑵の記事で礼宮の結婚を2003年と書いていましたが、正しくは1990年です。申し訳ありませんでした。
2003年は皇后雅子様が、帯状疱疹でご入院になり、適応障害と病名が明らかになった年です。今回のテーマとは、かけ離れるのでここでは詳しく取り上げません、

前回、記事で2010年には退位のことを周囲に話したと書いた。これは、天皇、皇太子,秋篠宮、皇后であろう。そして天皇、皇太子、秋篠宮の3者会議が美智子様発案で2012年春に始まったとされる。
これは、退位の前例を皇太子にも同様にさせようとする働きかけで会ったろう。
今の、秋篠宮やご隠居夫婦の動きを見ると、皇太子さまはこの考えに同意はされなかったのだと思う。

明仁天皇は即位後から天皇の在位期間を30年と決めていたというが、突然の退位表明は日本中を翻弄した。年齢的なこともあり、おおむね好意的に受け止められ、政府は動かざるを得ないという状況に追い込まれた・・・。 

これは抜き打ち的に行われたビデオメッセージによる、クーデターだったと私は思う。
政治に介入できないとしつつ、政府が承知していないことを電撃発表したのだから。そして、人のいい民意を後ろ盾に政府を動かしたのだから。

その時の気になる点の内容を下に載せました。(前回の中にも載せましたが) 

【天皇「生前退位」に向けた動きのスタートは、2016年7月13日夕。NHKニュースが「天皇陛下が退位の意向」「数年以内の譲位を望まれ」ているとスクープし、同8月8日には陛下自身が述べられた、国民向けのビデオメッセージ(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば)が公開された。このメッセージでは「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません」としつつも、“終身制”である天皇の地位について、自らの退位が望ましいとの思いを強くにじませた。当時、陛下は82歳。これまでに前立腺がんや心臓の冠動脈バイパス手術も乗り越え、公務を続けられてきた。「おことば」で、自らがこのタイミングで退位すべきとする理由は、以下の3点に集約される。

  • 次第に進む身体の衰えを考えると、これまでのように全身全霊で象徴の務めを果たしていくことは難しい

  • 生涯天皇の地位にあり、そこで健康を損なって深刻な状態に立ち至った場合、社会の停滞や国民の暮らしに影響を及ぼすことが懸念される

  • 天皇の終焉にあたっては、葬送の行事と新時代に関わる行事が同時に進行することになり、残された家族は非常に厳しい状況に置かれる

特筆すべきは、「象徴である天皇」は常に国民とともにあり、寄り添うことが「務め」であり、その務めを果たせないまま生涯天皇であり続けることを良しとしない考えを打ち出したことだ。この点で、天皇の”代行”としての摂政を置く解決には反対であることを、メッセージの中に強くにじませた。後のメディア報道によると、天皇陛下が「生前退位」の意思を初めて周囲に伝えたのは2010年のこと。ご自身としての区切りを「平成30年」(2018年)と定めて、機をうかがっていたようだ。】nippon.comより抜粋  

まず、私にはこれを読んで終身制である天皇の在り方を変えるという、歴史を転換させる意義が伝わらなかった。
脈々とつないできた歴史を、国民に寄り添えなくなるからと簡単に退位の前例を作れるものなら、過去にもあった女性天皇の道はもっと容易なはずだ。理由の様で理由ではない。

明仁天皇は祭祀について一切触れていないのはなぜ?挨拶のたびに、祈りますという割には、祈りの基本である祭祀について触れていない。祭祀が体に負担とかなら、まだわかるのだがそうでもないらしい、というか祭祀はこの方にとって重要ではないのか。天皇家の私事だからなのか??

摂政を置くということは、皇太子がその任に当たるため、まずいと言ってるようにしか読めない。
優れた資質を持つ皇太子への嫉妬もあったと思う。
昭和天皇は戦争責任を取って退位も考えたが、二重権威を懸念し摂政には否定的だったと聞く。
この方は、秋篠宮への皇統移動が頭にあったから、皇太子の天皇代行では困るということだったろう。
優れた皇太子への個人的な嫉妬で国の根幹をも捻じ曲げようとしたのだと思う。
美智子さんは、生前退位の文言に衝撃を受けたと書いている。あくまで譲位にしたかったのは、平成を前例として譲位が当たり前になるようにしたかった。(天皇の定年制)
これは秋篠宮も誕生日会見などで発言している。2011年

明仁天皇の国民に寄り添うとは何なのか?
出歩けなくても祭祀で、若しくは皇居の中でも国民に何が起きて何に苦しんでいるか、などは分かるはずだがこの方の寄り添うは、出かけて国民に自分の姿を見せ手を振るという皇后の影響が大きいように思う。

象徴の務めとは何だったのか。
そこに存在しておられる、その確かな思いが国民の側にあるかどうかではないのだろうか

政治に関与できないと言いつつ、中国に行ったり、あちらこちらに天皇の名代で訪れるだけでなく、寄り道して歩いたのは何だったのか?
挙句、退位の電撃発表。敬宮様15歳、
明仁さんは2018年を退位の年と考えていたという。

安倍政権は、この頃、TPPやトランプ政権が誕生するかもしれない、日本の方針が転換されるかもしれない危機にあったから、かなりこの発表には怒りを感じただろう。そのため生前退位とし、一代限りという仕返しをされたと私は思っている。その地位にいたかったら口出しするなの意味だと思っている。

私は象徴たるお方には、国民であれば許されるわがままは、許されないと思っている。
明仁さんにはそれがわかっていない時点で、象徴の資格はなかったのだと思う。 

   

   辛口で一年を締めくくることとなりました。

   皆さま、どうぞよいお年を😊

         今日も読んでいただき有難うございます。❤️





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