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⑵ 妨害と奇妙な符合の意味 ~16歳という暗号と美智子様の焦り~

今朝、カーテンを開けたら一面雪景色
2~3センチの積雪だが今日は転倒危険日、何せ雪ノ下は氷だから。
滑ったら最後、派手に転んでけがをしかねない。朝から救急車がもう3度目こんな日は歩く格好なんて気にしてられないのだ。

先日、上皇の誕生祝にごあいさつに出向かれた天皇ご一家。その際、敬宮様の車列を追い越し、暴言を吐いた外車がXで動画が流されている。
私はこれを事件だと思っている。赤色灯を付けた車列は、東京に住む方なら皇族の車列とすぐにわかるだろう。外車の主は分かったうえで車列が敬宮様であることも承知の上でこうした行動をしたのであろうと思う。

もしかしたら天皇ご一家は、私たちが知らないだけで常にこうした恫喝や命の危険に脅かされてはいなかったのか?

敬宮様に限って言えば、小学校で受けたいじめが有名であるが、今日は細かくは取り上げない。
敬宮様が8歳の時に書かれた詩を、上皇のお祝いに向かう姿を見ながら思い出していた。

  おかあさま という詩の中で
    「愛子は8歳になりました 16歳まで半分になりました」

という一節がある。なんで16歳? というのが私の感想でしたが、今はこの言葉に大きな意味があると思うようになった。

下に詩の全文を載せましたので、テイッシュを用意の上でお読みください。

実は敬宮様は幼いころから皇后美智子さんに、「16歳になったら出て行っておしまいなさい」と繰り返し言われていたという。当然ながらそうした記録はどこにもないのだが、この詩と妙に符合する。
また、「あなたの母親は犯罪者の孫なのです」とも言ったという。雅子様の祖父、江頭氏は、日本興業銀行から新日本窒素肥料の経営立て直しと水俣病患者への賠償を進めるために出向したに過ぎない。
そのため、当時の皇太子ご一家の参内は遠のき、国民の話題になるようになっていた。

2006年の明仁天皇は誕生日会見で「愛子は幼稚園に入り、風邪をひくことも多く会う機会が少ない」と話している。
また、羽毛田宮内庁長官は2008年の会見で「参内の回数がここ1年間、依然として少ない」と述べている。

なぜ16歳だったのか?

それは多分。下記の皇室典範にあると思う。
あくまで自発的に出ていかせたかったのではないか、そうすれば雅子様も付いていくと考えたのか??

皇室典範第十一条によると、「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」

美智子皇后は、1990年の秋篠宮が結婚するころには皇統の移動を考えていた、皇太子を結婚させる気も子供をもうけさせる気はなかったというのが、私の考えであり、このことは過去の記事でも書いた。 

それがことごとく、うまくいかなかった。
皇太子妃雅子様と皇太子を離婚に持っていくために雅子様に執拗ないじめやバッシングがされたのもこのためだと思える。
敬宮様も生まれ、美智子皇后の標的は増えてしまったのだ。

幼稚園前の幼い子に、出ていくようにとか母親は犯罪者の孫とか聞かせること自体が、美智子皇后の異常さを物語っていると思う。

そればかりか、敬宮様への学習院でのいじめは2009年に国民の知るところとなる。いじめの首謀者の子たちは紀子妃の父親と親しい方々であることなどが、暴かれた。紀子妃の父親、川島教授は美智子皇后とマージャンをする仲だったということが、何を意味しているか?
そしてこのいじめ問題について明仁天皇皇后の公式の見解が以下である。「学校や他の児童の関わることでもあり、いずれかが犠牲になることのないように。喧嘩両成敗という言葉を念頭に。」

いじめられている自分の孫に対しての気持ちがみじんも感じられないどころか、いじめられた側も悪いかのような発言である。

この発言はかなり騒ぎになったようである。SNSで問題にされたのだ。

この頃は敬宮様に付き添われる雅子様へのバッシングもひどかったことを覚えている。
2010年には明仁天皇が退位を考えていることを周囲に伝えていたという。

当然ながら皇后とは日常的に、2010年前から相談していただろうことを考えると、美智子皇后にとって皇位継承を都合よく進めるには、雅子妃殿下と敬宮様は大きな 障害だったのだと私は思う。

  今日はここまで

        今日も読んでいただき有難うございます。❤️

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