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AERAに物申す ~自由が欲しい方の代弁だよ~

今日13日は風が強く散歩も短めに終わらせたが、ラブは満足してるのか騒がずにいますよ。先日のカットで眉間のあたりを切りすぎたせいで、なんとなく、お間抜けっぽくなってます(笑)ご愛敬ですね。公園にワンとなくカラスがいるのですが、今日はさすがに会えませんでした~。

今日の記事を書く前にとインターネット記事を覗くと、下の記事が目に入ってしまいました。

全体の記事の内容からの印象は
(皇室への誹謗中傷は天皇家に向けられてるかのような印象操作に終始している)と思えましたよ。

そして、秋篠宮家に向けられる執拗なバッシングといいつつ、その中身の薄さと問題点を深堀し読者に伝える姿勢のなさは、この記事を書いた方へのジャーナリストとしての姿勢に疑問を持つに十分でした。

表立って秋篠宮の擁護記事には見せず、皇室問題とすり替えながら、秋篠宮擁護をするという・・・
最近、この手の記事が多い印象で、これはミッチやキーさんにできない手法だと思いました。これが広報室の仕事だったりして、なんて思いましたよ。

記事の中見について大まかにでも私の反論を書いておきましょう。


まず書き出しでAERAは、

【冷たい雨のなか1万5千人が一般参賀に集う一方で、ネットなどでは皇室への誹謗中傷がやまない。この状況をどう考えればいいのか。】AERA記事より一部抜粋

現状を憂う姿勢をよそおいながら誹謗中傷は皇室全体に向けられてるかのような印象操作を図っているのです。誹謗中傷と言う言葉の使い方も間違っています。批判と誹謗中傷の線引きもあいまいに、誹謗中傷の言葉を使用しています。
この言葉は、秋篠宮家が好んで使いますね。

そして一般参賀の歴史に触れ、
一般参賀の意義については、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんに
(自分がどう見られてるか知る、象徴天皇として手ごたえを感じる場である)としています。

参賀に出かけた中に、敬愛する天皇皇后両陛下や敬宮様に一目、お目にかかりたいという純粋な民の姿の思いをすくいとる文言はないのは、片手落ちではないでしょうか?

象徴天皇と民の関係は人気で測るものではなく、相互の、相手を思う気持ちや寄り添う気持ちの発露が行動になり、形になり、たまたま現代は数でカウントされますが、出かけられた方々の後ろに、無数に同じ気持ちの民がいるという事をお忘れだろうか?

そして、唐突に天皇の権威の話になります。

【「一方で、1万5千人が雨のなか傘もささず天皇の言葉を、という光景からは、戦前来の『天皇の権威』を引き継いでいる、そんな印象も私は受けます」

「天皇や皇室に権威的なものを求める人たちには『(彼らは)公に尽くさなければならない』という感覚がすごく強い。いまの上皇ご夫妻が平成の時代に頻繁に被災地を訪れ、公に尽くす姿を見て、天皇や皇室が好きになったという人たちもいる。そういう人たちから見ると、眞子さんの結婚の件などは金銭トラブルも含め『私』の部分が見えすぎてしまい、『裏切られた』という思いも強かったのでは」 】AERAより記事一部抜粋

戦前の天皇の権威と言いながら、それについては説明がないのですよ。
戦前は天皇は現人神とされ、軍国主義の中で国民は唯一のご神体を守る気持ちでいたはずでしょう。権威があるからなんて、そんな簡単なものではないはずですよ。

ここはとても重要なところのはずなのに、平成を出すために導入に使ったとしか思えず
それなら皇室の歴史に触れてくれるなと、私の心は叫んでますよ。

平成の前天皇夫妻の被災地訪問を例にし、公民に尽くす姿と持ち上げてるがその裏での問題はこれまで週刊誌にも何度か取り上げられて来たのではないですか?それらについては、何も触れずに書かれることに報道の公平な姿は微塵も感じられないのです。

その実態の一部を、篠原丈一郎氏の動画でぜひ確認していただきたいですよ。

真子さんについて「裏切られた」と言う思いの方が、どれだけいたかはわからないが、大方の人は失望の方が強かったでしょう。
あれだけ民意はやめてほしいと思っていたのに、国民を睨みつけPTSDと言いつつ記者会見をしNYに行ったのですから。

そして、誹謗中傷は両極のためと論じ、両極とは、勝ち組、負け組 と述べるに至っては心で収まらず声が出ましたよ。

【「雅子さまが病気療養で十分に公務ができなかった頃、皇太子の退位をうながす『廃太子論』も出るほどだった現天皇に比べ、眞子さん、佳子さまに続いて皇位継承権のある男の子(悠仁さま)も生まれ、『順調』だった秋篠宮家は、『平成の勝ち組』に映ったかもしれません。『うまくいっている方の人』を、いっていない人たちが何かのきっかけで徹底的に袋だたきにし、鬱憤(うっぷん)を晴らす。そんな風潮が『両極の状況』の背景にあるのではないかと思います」】

                     AERAより記事一部抜粋

と、不敬発言とも言える結論にしているのです。
鬱憤を晴らしてるだとー!!!

秋篠宮邸やお仮寓所、通路、鵜小屋、トンボ論文やもも、東大進学問題
DNA問題、悠仁さんの障害、タイの本妻さん疑惑、KK夫妻の税金投入
鵜小屋の件、産み分けの事、研究用のカピバラやピラルクをBBQしたこと
キーさんや美智子さんの皇后いじめや敬宮様への嫌がらせは?

何一つ疑問に応えてもらってないから、説明してと声をあげてるに過ぎない・・・
秋篠宮が勝ち組だあ???
これらを負け組が鬱憤を晴らしてるー!!!何て言い草でしょうか

うまく行ってるのは秋篠宮だとでも思ってるのか???
男児がいるに過ぎないだけなのに・・・しかもズルばかりしてないか???

そして締めの文が、秋篠宮の代弁になってます。

【今の日本社会でそんな状況に生まれながらに置かれた人たちがいることを認識し、『仕方ない部分』をどれだけ自分たちの方に近づけ、『人間としての自由と、象徴天皇制のバランス』をとっていくかを真剣に考えてみる。】      AERAより記事一部抜粋

普通の人になりたいならなればいいと思いましたよ。
皇族や天皇家は、伝統を守り、国民に寄り添い、国民の税金で成り立つ生活の中にある以上、祈りだけではない義務があるはず。
国家元首の立場ならできる自由と出来ない自由があるのは、当たり前。

人間としての自由を天皇制と並べて論じることは、私は違うと思いますよ。それをし始めたら天皇制は無くなるでしょう。
だから秋篠宮は天皇になってはいけないと思います。

基本的人権は誰にもあります。だから、宮内庁職員に「雅子皇后は人権侵害を受けてきた」と言われ書かれたわけです。
国民が秋篠宮に向ける批判は。批判と要求であり人権侵害には当たりません。

一方で、秋篠宮はプライバシーを盾に説明をこばみますが、公的人間にプライバシーはありません、と言うのが私の考えです。説明を求めている事柄は、すべて税金に結び付くからです。

自民党議員がパーテイーでスケスケお嬢さんに触ったか触らなかったかが
議論になることを見たら、わかりやすいでしょう?


こればかりはAERAはやっぱりAERAで済ませられませんでしたよ。

長くなり読むのも大変だったと思います。
今日はここまで明日早朝の記事はお休みします。

    今日も読んでいただき有難うございます。❤️

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