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#5 母のこと、TC治療 1クールDay2

タキソールとカルボプラチンは1日投与したら、20日お休み。20日間は、体力の回復を待つ、という。
昨日、めでたくバースデー投与したお薬は、今のところ、ワタシになんの違和感も知らせない。冬曇りの朝の光は柔らかくて、ココが病室だということも忘れてしまう。
今日、退院して、次のクールまで自宅療養。

「再発です、緊急入院となります」、と先生から伺ったとき、真っ先に頭に浮かんだのは、母のことだった。
母に、なんと伝えようか。

去年、6月の手術の時も、電話で伝えた。
初めの少しの驚きの声の後、病名が子宮頚がんで、癌は2.5センチくらいの浸潤がんだけど、手術で完治できそうだと伝えると、最後の言葉も終わらないうちに、母の方が、明るく大きな声で話し始めた。

ママの職場の丸尾さん、美人のマルちゃんもね、子宮頚がんで全摘したって、今もとても元気、困るのはお腹がスカスカして寒いくらいだって。
それから、健康麻雀教室の、誰それさんも癌で、、でもまだピンピンしてて、、
ユミちゃんは若いから大丈夫!とかなんとか。

母にはいつも敵わない。
入院の日と、おおよその入院期間を告げて電話を切った。

いま、大阪に住んでいる母は、入院の翌日から、東京のワタシの住まいの主人となって、毎日、見舞いに来てくれた。昨年の7月は記録的な猛暑が続いた。72歳?まで、勤め先から辞めないでくれと、請われて勤め人続けた母だったが、流石に、立派な高齢者だ。毎日の暑さは、身体に堪えたと思う。

病院には、病衣とタオルのレンタルサービスがあって、申し込めば、毎日清潔なものを支給される。が、コレ、男女同色、ウグイス色を3ターンくらい褪せさせた、なかなかの乙な感じ…。
タオルのフカフカ加減も足りなさそう。

ワタシは、無論?、初の長期入院に、シルクのパジャマをいくつもいくつも買い足し、病院のランドリーで洗濯して過ごすことに早々に決めていた。

が、物事そんなに甘くない。
手術は、8.5時間かかったらしい。子宮内膜症が酷くて、出血を最小限に抑えるために、癒着した子宮をゆっくりゆっくり剥がしていったらしい。失血は900cc、輸血の寸前で手術は無事終了した。

麻酔は、夢にまで見たプロポフォールだった…!!
コレは、新社会人としてアストラゼネカに入社して、初めて勉強させていただいたお薬の一つ。
先生方にも、全身麻酔と比較した製品特性をご紹介させて頂いていた。そのうちに、ワタシもこの製品にすっかり惚れ込んでしまって、もしも、ワタシが手術を受けることがあれば、硬膜外麻酔でバッチリ鎮痛を効かせたプロポフォールの静脈麻酔で、と、勝手に決めていたのだった。


果たして、
身体の1/4の血液を失ったワタシの身体へのダメージは相当に大きく、術後は、起こりうる合併症を一通り経験する羽目になった。特別病室のあるフロアに備え付けのランドリーコーナーまですら、歩いて行けない。

毎日、1日たりとも欠かさず見舞いに来てくれた母は、毎日、ワタシの痛みの脂汗に汚れたパジャマやタオルを持ち帰って、翌日、新しいものを持ってきてくれた。

お洒落着洗いの洗剤や、可愛いサイズの物干しなど、アレコレ買い揃えて持っていったものの、一度も出番がなかった。

会社の人は、みんな優しく、足りないものや必要なものは、なんでも持って行くよと声をかけてくれていた。が、こんなことは、とても頼めない。
結局のところ、どこまで行っても、個人的な生活のところを頼れるのは家族か、公共のケアしかないのだ。いまのところの、ワタシの切実な実感である。

ずいぶん長くなったので、
此度の再発の、母への告知とそのあと、は
次のお話で。


写真は、16Fの特別室。たまたま一般に空きが無くて、こちらをご案内いただいたのだけど、日の出から西の富士山までぐるりと眺望できる素晴らしいお部屋だった。
見舞いに来た母が、ひっきりなしに空を行き交う、羽田空港に離発着する飛行機を数えて、子供のように喜んでいた。

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