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#11 TC1Day8、教科書通りの神無月

睦月18日の朝である。友引と一粒万倍日が重なる吉日。神無月でないことはわかっているのだが、ワタシの白血球の神様は、総出で出雲大社に参られた様子。まるでご不在である。
おかげで、ワタシは朝っぱらから37.9度の高熱と、頭痛、咽頭痛と、貧血、眩暈。軽トラの下敷きになった気分を味わっている。

抗がん剤の副作用のひとつ、骨髄抑制らしい。
抗がん剤によって、血液細胞をつくる組織である、骨髄の働きが抑制され、血液細胞である白血球(好中球)・赤血球・血小板が減少する。それは、知っていた。
でも、昨日までの、快調路線が突然真っ逆さまに暗転するとは聞いていない(聞いたかもしれないけれど、頭に入っていなかった)。

軽トラの下敷きになりながらでも、何故こうなるのか、興味を抑えきれず、調べてみて、得心した。
一般的に、抗がん剤治療開始後、7日目から、10日目頃から白血球の数が減り始め、10日目から14日目頃に最低になり、3週間くらいで回復してくる、とある。

なるほど。
ワタシの白血球様は、一週間かけて、出雲への旅支度をして、あと一週間は其方へご逗留されるご旅程である。いまは、まさに、ご不在な訳だ。
神様のお留守の間は、厄病が寄りつかないように、身を清めて、じっとしている他ない。

このあたりの、神様のご旅程とか、軽トラのこととか、事前に知っておいたら、昨日、調子が良いからと、ネギを買いに行くのはやめたのに。後の祭り、とはいったもので、コレも経験。
TC治療第2クールの時は、心して臨もう。

似たような辛さを抱えていても、寝てはおれない人や、仕事に向かわねばならない人が、少なからずおられることを思う。心の中で手を合わせて、その人の、痛みや苦しみが消えますように、とお祈りをする。


恩師の榊原清則先生が、病を受けられたのは50代まえ、とお聞きしたことがある。
神経変性疾患だから、完治の希望は、なかなか持てなかったのではないかと思う。
MITやハーバードに招かれ、ロンドンビジネススクールで教鞭を執られたのち(ちなみに、安倍元総理が掲げた人生百年時代のネタ本、『LIFE SHIFT』のリンダ•グラットンが駆け出しの教師の頃、ロンドンビジネススクールの同僚でいらっしゃったという。『戦略サファリ』のミンツバーグから、彼の愛人の面倒を頼まれて、毎週のようにインド料理屋に行っていた、ともおっしゃっていた。経営学の超一流の学者と交わり、ご活躍されていらっしゃったのだ)、ご帰国されて、その後、慶應大学SFCで、教えておられた頃でいらっしゃったのだろうか。

どれほど無念でいらっしゃっただろう。
世界を変えるお仕事を、もっと、たくさんされたであろうし、世界をもっと素敵な場所に変えることができる綺羅星のごとくの後進の方を、アカデミアに、産業界に、世界中の社会や組織に、もっと、もっと、輩出されたことだろう。

榊原先生の、一昨年、DBAコースの最後の教え子仲間で、先生を囲む会を企画し、素敵な先輩方と先生にお会い出来るはずの約束の日は、先生がこの世を去るほんの、5日前のことだった。

昨日、先生のDBAゼミのノートのページをめくってみた。


人生、どう転ぶかわからない。
by chance…
いいことが起きるかもしれない。
可能性の芽を、作っておくこと。

CBS 榊原DBAゼミのマイノート

ココロから愛する友達や先輩たちが、優しい言葉の花束をくれる。そうだ、ワタシも、明日のワタシに期待しよう。


写真は、アストラゼネカからの大親友が送ってくれた。彼女のパワースポットフォト。ハワイ。虹が生まれる場所まで見通せる。ありがとう。

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