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#12 カルボプラチン: 抗がん剤・白金製剤のセレンディピティと榊原先生のこと

幸運は、待ち受ける心に訪れる。
le hasard ne favorise que les esprits préparés

ルイ・パスツールが講義で語った言葉。
日本語訳は、榊原清則 先生による。

榊原先生は、経営学講義の中で、幾度なく、「セレンディピティ」という言葉を解説された。そのときはいつも、この言葉を語ってくださった。

セレンディピティとは、偶然の出来事から、思いがけず、本質的に重要なことを学びとることや、本来目的としていたこととは別の、素晴らしいものを見出すような幸運に恵まれること、などをという言葉だ。最近(と言っても、立派な中年の私の“最近“はこの15年内くらいを指す)では、そういうタイトルの映画もあったと思う。

セレンディピティのお話をされるとき、榊原先生は、その語源と、自然科学におけるこの語にまつわるストーリーを話してくださった。
セレンディピティ、とは、単なる偶発的な幸運なのではなくて、「待ち受ける心」に訪れるものだ、ということを、強調するためだったのではないかと、今は、思う。

このセレンディピティという言葉、もとは、『セレンディップの3王子』という物語に由来する。
セレンディップとはセイロンのことで今のスリランカである。このセレンディップ国の三人の王子様が、艱難辛苦の旅を、彼らの聡明さでもって見事にサバイバルする物語である。
榊原先生は、ここまでお話になって、冒頭にご紹介した、ルイ・パスツールの言葉を板書される。

ご存知の通り、パスツールは、化学、医学生理学分野で幅広く重要な業績を残した研究者である。
パスツールは、彼の学長就任演説の中で、ある科学者の素晴らしい業績に触れて、「偶然の発見だというかもしれませんが、観察において、チャンスというものは、準備の出来ている精神だけを好むものなのです」(筆者拙訳)と語ったという。
これを、榊原先生が、「待ち受ける心」と表現されたのだ。
ワタシは、この言葉の音韻を、心の楽譜にキレイに写しとって、そのまま、心奥に大事にしまい込んだ。


さて、今日こそ、カルボプラチンである。
ワタシを、かりそめの天国や鍼地獄へと気まぐれに突き落としつつ、身体の中のがん細胞と果敢に戦う、TC療法の、タキソールの大事な片割れ、カルボプラチンである。


カルボプラチンは、1978年に開発され今もまだ現役バリバリの抗がん剤、シスプラチンを改良した薬剤である。

シスプラチンは、2個のアンモニア分子と2個の塩素イオンが、白金を中心に並んだシンプルな作りの複合体である(薬学的には、もうちょっと丁寧に言わないとイケナイのだが、ご容赦を)。

白金!!

そう、プラチナである。



楽天証券でも売買できる、あの、貴金属の、金、銀、プラチナ、のプラチナだ。
今、ワタシの身体の中にも、幾ばくかのお高いプラチナが流れ(コレもまったく正しい表現とは言えないが、あくまでも、概念的に、である)、ワタシのがん細胞と、取っ組み合いの喧嘩をしているのである(負けるな!プラチナ!!)。

なぜ、プラチナ製剤ががんの治療薬になったのか。
この端緒となった発見こそが、医学における、幾つかの、セレンディピティの代表例の一つとして数えられるものなのだ。

例えば、フレミングが実験の操作に失敗し、観察中のシャーレに、別の菌が混入したことによって、ペニシリンを発見したこと。
あるいは、湯川秀樹博士が、触媒の濃度を1000倍間違えた失敗から、ノーベル賞受賞につながる大発見を得たことなど。
セレンディピティが絡まない世紀の大発見など、あるだろうか。当初の目的ではなかった偶発的な出来事の結果から、世界を一変させる大発見がもたらされたのだ。


1964年(文献によっては1965年とある)、米国の物理学者、ローゼンベルグ博士が、大腸菌の培地の中に、白金電極を立てて電圧をかけたところ、大腸菌が白金電極周辺に糸状に変化しているのを見つけた。ローゼンベルグは、電場の効果を検証するためにこの実験を行なっていたのだ。彼は物理学者だ。
が、観察してみると、何らかの化合物が大腸菌に影響をもたらしたようだ…、とのセレンディピティを得て、研究を進めた。ここで見出された白金化合物が、シスプラチンなのである。

開発当初の生体内実験では、その腎毒性の高さのために、開発中止も検討されたようだが、投与前の生理食塩水の投与などの方法が毒性軽減方法が見出され、1978年に、FDAから抗がん剤の認可を取得した。
おお、ワタシの生誕前ではないか。

その後、さらに、腎毒性を軽減するように開発されたのが、カルボプラチンである。

これらの白金製剤(後ろに、ナントカプラチン、と、後ろにプラチンがつくお薬)の作用機序を、これまた、ものすごく簡単にいうと、プラチナ部分が、がん細胞が増殖するDNAに結合して、がん細胞のDNA合成を抑制し、がん細胞増殖を抑える、ということになる。

#3でご紹介した、パクリタキセル(タキソール)は、細胞分裂に必要な「微小管」の働きを抑えることで、がん細胞の分裂を抑える薬だ。

だから、実のところ、それぞれのお薬は、がん細胞が体内で増殖するのを抑制するというのが主作用なので、にっくきがん細胞に貫通ミサイルを打ち込んで木っ端微塵に粉砕する、という手荒なことをするわけではないのだ(残念)。
そして、この細胞分裂の過程に魔法をかけるというこれらの薬は、がんではない、正常な細胞の細胞分裂のプロセスにも触れてしまう。

例えば、細胞分裂が活発な毛母(毛を生やす、お母さん細胞)は、抗がん剤や放射線治療の影響を受けると、脱毛が起こる。成長期の毛包(毛を作る元になる大事な細胞)の細胞分裂が抑制され、治療開始後、1〜3週間後の比較的早い時期に、頭部の脱毛が始まると言われている。
(ここまで書いて、慌てて、また鏡チェックをする。今日はまだ、、、来てない。髪を少し引っ張ってみる。まだ大丈夫。ほっ)必ず、抜けるらしい。ただし、治療が終われば、また、必ず、生えてくる、らしい。

だが、しかし、だ…。


したがって、初期のがんは、とにかく、手術ができるのであれば、根治の可能性がある、手術で取り除く!!!!!!!!(強調しすぎたかもしれない)
これに尽きる。。。

そう、手術ができるうちに。



榊原先生が、セレンディピティのお話をしてくださったのはなぜだろうが。
学期初めには、いつも「深く考えるとはどういうことか」というお話をしてくださった。

問題に対して、真因を追求する態度の重要性。Prescriptive (処方箋的)な、対症療法的な方策に拘泥するのではなく、「なぜ、こうなっているのか」を観察し、因果関係についてまなざし、深く考えることの大切さ。

客観的な観察の重要性。事実の全体を把握するのは極めて難しく、サーチライトの光の当て方や角度次第で、見え方や、事象そのもの姿さえ変わってしまうこと。
経営学が対象とするテーマは何か。

例えば、激しい競争環境の中で、生き抜くための、ビジネスの現場での日々の、今、ココ、での必死のカイゼンや、prescriptive な営み。

アカデミアの立場からすれば、それらの単なる「対策」や「方策」は、一般に、場当たり的で、軽い、応用のきかない、価値の低いものとされる。
因果のメカニズムを解明し、異なるデータセットでもその確からしさが認められる(ロバスト性の証明)ことに比べれば、そういう事例をいくら集めたところで、無価値とさえ揶揄される。

だが、実のところ、それら、ビジネスの試行錯誤や、存亡を賭けたチャレンジとは、企業の、極めて、独自的な、豊かな営みであり、面白みであること。
別の言い方をすれば、経営危機で生きるか死ぬかの瀬戸際に瀕した企業において、危機のなんたるかを解説する過去の因果論など、誰の、何の役にも立たないのだ。

そして、待ち受ける心、を育てていれば、幸運も訪れる。
そして、また、何故だろう、と考えることが、大切だということ。
そういうお話をしてくださった。

今、学会を牽引されておられる卓抜した経営学者の中には、榊原先生に師事された方も多いし、そのほかにも、先生は、優れた企業人や社会課題の解決に邁進されている素晴らしい起業家を多く輩出されている。そう、社会を豊かで幸せにするために生きる、素敵な人たちを、たくさん。

先生は、ワタシたちは社会人大学院生に、いつも、こんなエールをくださった。

ビジネスのインサイダーとして、ファースト・ハンドの情報を受け取り、
情熱を持って、研究せよ。

榊原清則 先生の講義ノートより


榊原ゼミの先輩方。お仲間の皆様。
今度はいつ、集まりましょうか。
ちょうど、今朝、金髪のカツラが届いたので(激安でカワイイのを発見したのだ)、それを被って参上します。
いつか、の、その日を、夢見て。

写真は、2015年、アフリカ・ガーナへボランティアに行った折に立ち寄った、野口英世記念館に掲げられた、野口英世先生自筆とされる書。
大正4年、「忍耐」とある。

・・・、ぐうの音も出ない。








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