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長ったらしい手紙

今回のGWに、私はメッチャクチャ働きました。
働いて、働いてクタクタになって、今休んでいます。

朝から体が全身打撲症のように千切れそうに痛かったけど、近くにある私の大好きなマイパワースポットに足を運んで癒やされ、大好きなウィンドウショッピングをしたり、大好きな食べ物を買い食いしたら、少しずつ元気になってきました。

最近、体調の低迷周期と仕事の繁忙期が一ヶ月交代でやってくるので、それが段々と辛くなってきました。

だからと言って、仕事を休んだり減らせるかというと、そういう訳にもいかない。
だから私なりに、今度疲れた時のために、自分への手紙で申し送りをすることにしました。

〜おしゃへ。〜
毎日頑張っているね
君ほど頑張って生きている人を私は他に知らないよ
君は最高だよ
だけど、そろそろ年齢を考えないとね
君は体さえ元気なら精神力でなんとか乗り切れると思っている節がある
けれど、精神力は体があってこそだ
毎日、体が喜ぶことをしなさいね
体が喜ぶ物を食べたり、優しい物を飲んだりして、ストレスを上手く解消して自分を癒やすのだよ
ハーブティーが宜しい
そして、和のものを食べなさい
味の薄いものを摂りなさい
そして、体を擦って労りなさい
頑張ってくれて、ありがとう
偉いね
細胞たち、君らのお陰だよ
もっともっと君らのコミュニケーションが円滑になって光を発せられますように
体が喜ぶ湯に浸かり、とにかくゆっくり擦って揺すって、癒そうではないか

先日とあるイベントで、その日初対面のバイトの若い子からあるお願いをされました。
普段の私なら「あ、そうですか、いいですよ」とすんなり忖度して行動してあげます、謙虚だから。
だけど、驚いたことにその時の私の口はえらく強情で、断固そのお願いを拒否したのです。とにかくNO!の一点張りを貫いてそのお願いを聞き入れませんでした。
どこからそんな意地が出てきたのやら…
だけど、心の中にはいつもそういう私は居るのです。ただ今まで公の場で出して来なかっただけ。
ずーっと昔の幼い頃にそういえば、暴力的な小学校の先生に歯向かった時がありました。私は悪くない!…そういう態度を貫いた時を思い出しました。

今、それを思い出すということは、きっとその時の感情とか波動が一緒なのかもしれません。
反抗期なのかな?
それともストレス?
色々な理由があるよね、混ざっています

とにかく、自分に強いてることが多いのは確かです

マイ瞑想法に、空に返っていく問答瞑想があります。

「私は〇〇ではありません」
と言いながら、あらゆる物を手放していくのです

例えば、
私は責任ではありません
私は仕事ではありません
私は義務ではありません
私は体ではありません
私はお金ではありません
私は食物ではありません
私は感情ではありません
私は成長ではありません
私は希望ではありません
私は過去・現在・未来ではありません
私は心ではありません
私は生き物ではありません
私は魂ではありません


という風に、思いつく限りの自分に張り付いているもの・事全てを手放していきます
すると、いつかは何にもない「ただあるだけの存在」に行き着きます。

そうすると、何にも無くなるのです
本当に
なーんにも。

その瞬間はただただ続きます
何十分経ってるか自分にも分かりません
ただただ、幸もなく不幸もなく、欲もなく、
「こう成りたい」さえ手放しているのですから、自由なのです。

そうやっていくと、最近気づいたことがありまして、
「人間というのは、というか私や周りの人を観察していると、人って虚勢を張って生きていると思った」のです。
頑張ってこの世にしがみついて生きている
と言ったら過言かもしれないけど、私たちってもしかして「生きなきゃ!頑張って〜しなきゃ!」を本気で外したら、あっちゅー間にこの地球にお別れしちゃうんじゃないの?!(;・∀・)
という核心に迫りそうになって、少しばかり焦ってしまいました😅

それでも、この世にいると面白いことばっかりなんだもーん!と言って飛び跳ねるようにして生きられてる人を私は凄いなと思う。
それに比べると、私の生きる欲なんて、ほんとここで言うのが内心めっちゃ怖いけど、全然、これがしたい!!という欲がない。
大した事ない表面上の欲ばかりじゃないかなと感じる。
それぐらい、今の私は何でも出来て、自由に満たされていて、本当に恵まれてるんだという意味だと思う。
それか逆に、本当にやってみたいことに勇気を出して挑戦してないかのどちらか。