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ゴミ屋敷片付け記録~築90年の夫実家を仕舞うまで~

前書き

 夫の実家を片付けました。
 書くお仕事を休んで1年で片付けるつもりでしたが、結局1年では終わらず、1年4ヶ月かかってしまいましたが。でも片付きました。片付けました。やりました。
 お仕事休んで、それで1年で片付かないって、どんだけ丁寧に片付けてたの。なんて思われる方もあるでしょうか。
 夫の実家は夫の祖父が家賃で家族が食べていけるようにと建てた、母屋に9軒の貸家が連なる十軒長屋でした。
 建てられたのはまだ「建蔽率」という概念がなかった昭和7年で、一昨年(2022年)でちょうど築90年。今調べたら、「建蔽率」って昭和25年に初めて出てきたみたいですね。今の街中では考えられませんが、昭和7年当時は、敷地内にぎっしりと建物を建てることができたようで、夫実家は280坪の敷地ほぼいっぱいに10軒が並んでいました。
 一軒当たり28坪、二階建て。普通の建て売り住宅はだいたい敷地が30~60坪なので、普通の家の10軒分と考えてもらっていいかと思います。
 で、その10軒がどんな状態だったかと言えば……。
 家賃で食べていけるように……との思いから建てられた十軒長屋。確かに長い間、9軒の貸家は夫実家の大きな収入源になっていたようです。とはいえ、なにしろ昭和7年の建築です。古民家風カフェだとか古い家は一部に根強い人気がありますが、あれはちゃんと住みやすいように、古さは残しつつ、手が加えられているんですよね。夫実家は家によっては網戸がなかったり、お風呂も一度外に出ないと行けなかったり、そもそも現代の生活にはなにをするにも電化製品が欠かせないのに、コンセントが1部屋に1ヶ所あるかないかだったり。片付けをしていて、1階と2階で同時に掃除機をかけただけでブレーカーが落ちるような電気容量もほぼそのまま。
 わたしが嫁いだ30年前は、それでもまだ9軒中4軒に人が住んでいましたが、それでも半分以上は空き家になっていて、もうここ15年ほどは染み抜き屋さんがお店として使っている一軒のみ、借りてもらっている状態でした。
 ではあいている8軒はどうなっていたのか。
 今「あいている」と書きましたが、ある意味、「あいている」家は常に1軒もありませんでした。
 わたしが嫁いだ30年前、借り手がおらず「あいていた」5軒にはお姑さんが溜め込んだガラクタがいっぱいに詰め込まれていました。そして次々に借家人が出ていった家々にも、お姑さんは次々にまた、溜めたもの、買ってきたもの、拾ってきたもの――そうです、お姑さんは「捨てられない人」というだけではなく、「拾う人」でもあったんです――をぎっしり、ぎっしり詰め込んでいっていたんですね。
 今、ぶるっときた方はなかなかに想像力が豊かな方だと思います。
 築90年の十軒長屋いっぱいに、溜めに溜め込まれた家財道具とゴミとガラクタ。……一年と四ヶ月、かかっちゃいましたねえ……。
 時々テレビで見るゴミ屋敷。家ばかりか敷地からも溢れだして、近所の人も困っているというあれ。ああいうの、見るたびに思ってたんですよ。30坪、50坪で溜めるから、溢れるのよねって。280坪あるとそう簡単には溢れないのにって。
 ええ。ですから、敷地外に迷惑はかけてなかったです。敷地外には。塀の内側にはゴミやガラクタが積み上げられていましたが、とりあえず、外に溢れてはいませんでした。
 わたしが片付けてカラにしなければならないのはそんな状態の夫実家でした。
 すごい状態でした。
 すごい片付けでした。
 すさまじい……と言ってもいいんじゃないかな。
 これはその片付けと、片付けを通してわたしが感じたことや思ったことの記録です。
 1年4ヶ月の間、あまりにいろんなものが出てきて、まだ自分でも消化しきれていなかったりして、書くことで、いろいろ整理したいという思いもあったりします。
 あと、「片付けなきゃいけない家や部屋がある」人って意外と多いと思うんですよ。
 そんな方々に、ちょっと偉そうですが、なにかのきっかけだったり、モチベーションだったり、感じてもらえたらいいかなとか……いやそれは偉そうだな、うん。
 こんなすさまじかってん。大変やってん。いろいろあってん。
 うん。それをつらつら書いてみたいので。
 書いてみようと思います。

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