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SNSでの問題提起について

あまりにも心がちくちくしていたので、行ってみたかった隈研吾建築の瑞聖寺へ。

いつも素通りしていた道を入るとそこに広がる静寂な空間。連休中とはいえ平日の午前中だからか、人もおらず、空の広がる贅沢な空間を満喫。

昨日、ある一流アーティストが責められるようなSNSでのその発信したアーティスト、発信の仕方に対して、問題提起すればいいってもんじゃないだろう、と、怒りや嫌悪感でざわついていた心の中が少し、落ち着いた。

そしてゆったりと自分の心に向き合う。自分はこういうことを嫌だと感じるんだなあ、それはそれで感じることは自由。その発信したアーティストのこと、何度かイベントでも観たけど直感でなんか違うと、好きじゃなかった。でも、そういう人もいるし、今回の件でも、その人を支持する人が目立っている。

問題提起は大切だと思うけれど、こんな時代だからこそ、平和であることに、ひとりひとりが何かしら頑張って保っている、この平和な世界を大切にしたい。ましてやステージはファンタジー。ステージ後に溢れていた「最高だった」の思い出たち。何年も前からイベントを作り上げてきた運営の人たち。どうにか明るく丸くおさめていたステージ上の他の演者たち。そして、他のステージの演者たちやお客さん。責められたアーティスト。

あのフェスは、発信した彼ひとりのものじゃないのに。余りに稚拙で感情に任せて私物化している印象を受けた。

やるなら裏でやってくれ。もしくは自分のイベントでやってくれ。彼だけの為に来たわけではないお客さんをまきこまないで欲しい。発信していない他の演者を自分側だとにおわせないで欲しい。あの問題提起で誰が幸せになったんだろう。少なくともあのニュースを観ただけでも不愉快。

人の感じ方はそれぞれだけど。

正解がないからこそ。

私は自分が感じたこと、自分がしてきたやり方を
大切にしたい。

共有するもの、しなくていいもの。

その判断基準は、自分なりにしっかりと持っていたい。


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