見出し画像

世界はここにある㊴  第三部 

 キャロルが運転するジープは小田原にある僕の実家を目指し中央連絡自動車道を南下していた。彼女は厚木基地へも任務で出入りすることがあるようで、このルートはよく知っているようだった。順調に行けば小田原市内へは1時間ほどで着く。テロ予告にミサイルのJアラートで大混乱かと思ったが、早々の誤報の発表に市民は随分と落ち着いているのか、車の数は平日の様を崩していない。

「キャロルさん、ミサイルは誤報だったんだでしょう? 帰らなくていいんですか?」
「ごめんなさい。その話はあとで」
 彼女はサイドミラーを度々確認しながらスピードを上げている。米軍の車両はスピード違反で検挙されることはないのだろうが、決して乗り心地の良いとは言えないこの車のタフさなら少なくとも煽られる心配はないだろうと、つまらないことを考えながら自動車道の先を見ていた。

 発信音がし、ジープに搭載されている無線から『ベースよりハワード上級曹長』という声が聞こえた。
「こちらハワード」
「なぜ、厚木方面へ向かう?命令はない」
「緊急にゲストの保護の必要性あったため作戦実行。目的地は小田原」
「スクランブルは解けた、基地に帰還せよ」
「それよりも衛星で我々は確認できているか」
「GPS追跡は現在異常なし」
「基地外1㎞以内で追尾車両があると認識。現在も追跡されていると認識」
「画像追跡に切り替える」
 僕は思わず後ろを振り返ろうとしたが『後ろを見ないで』と彼女は強く指示をした。
「誰かが追って来ているのか?」
 彼女は答えず、前とサイドミラーを目線だけを動かし確認をしていた。僕もサイドミラーを見るが追跡しているとされる車両はよくわからない。
「映像を確認、3台だろう。厚木へ入れ。自衛隊側へは連絡を入れる。車載カメラ映像を送れ」
「了解」
 キャロルは搭載された機器のスイッチを押し、ナビ画面にもその映像を映した。ニ分割された映像には上空から映した僕らが乗る車と追尾する車両の静止画像が映し出され、片方は後方カメラのライヴ映像が映し出された。
「タカヤマさん、どうやら家までは送れなくなったようね」
 表情を変えず彼女はそう言った。
「あなたは随分と人気があるようだけど」
「最近は追われることばかりだからね。多分ナオではないと思う」
「ナオ…… あなたが言ってた女の子のこと?」
「僕の私物は?スマートフォンは」
「あなたのバッグに戻してある」
 バッグからスマートフォンを探し出し電源を入れた。そして履歴からナオがあの公園で僕に送ったメールを探し出した。

『ナオ、僕は今、米軍の車で厚木へ向かう途中だ。けれど正体の分からない車に追跡されている』

 返信でメールを送信してみた。もしかするとナオは僕を見つけてくれるかもしれないし、後ろの車がダヴァースの車なら、なにかしらアクションがあるだろう。

 車のスピードを上げる。助けが来るのかは分からないが今は何とか振り切るしかないのだろう。こちらがスピードを上げたことで追跡者もスピードをあげ車間距離がだんだん短くなる。キャロルがミラーを確認する回数が増えた。今は相模原のICを抜けたばかり。まだ厚木まで20分はかかるだろう。
 段々と他の車が少なくなる。規制がかけられているのかはわからない。この車が飛び込んでいく先が僕らにとって望ましい先でないことは確かだ。巻き添えをくらう一般車両はいないほうが良いが、そうなれば相手にもより都合が良いだろう。僕側のミラーに追跡する車がハッキリと見え始めた。
「追い抜くかも……」
 言うまでもなくキャロルは状況を理解していた。ハンドルを切り蛇行を始める。
「しっかりとつかまってて」
 追跡者の車もそれに併せハンドルを切る。相手の意図はわかった。僕らの車を止め僕を拉致するか葬ろうとしているのだろう。

「何か武器は?」
「部隊出動ではないからこれだけよ」
 彼女は腰のホルスターを左手で触る。拳銃が一丁。武器に無縁の僕でさえ迫る危険にどれほど有効なのか心もとない気がする。
 目の前で銃により倒された男達を、倒した男達を見た。数日前に僕がいた日常は銃撃され人が死ぬ世界ではなかった。今、激しく身体を揺らされながら猛スピードで走る車内にいるのが現実の世界だ。

 追走は激しさを増す。3台のSUVが逃すまじと迫っていた。軍仕様の車両とはいえスピードでは相手に分がある。キャロルの車さばきは見事ではあるが次のインターまでこの状態を続け一般道へ逃げ込むのは無理だ。

「頭を低く、しっかりとつかまって」
 キャロルはそう叫んでから左から横に並びかけた追走の一台へ向け急ハンドルを切る。大きな衝撃に一瞬、目をきつく閉じ身体を必死で支えた。後方で追走の車がガードレールを大きくゆがませたあとスピンをし、反対側のガードレールにまた突っ込んだ。残り2台のSUVは間一髪でその車両を避け、再び追走してくる。金属のこすれる音が車の後ろでしている。一台を葬った代償だろう。ジープはそのスピードを落とすことはなかったが、次に無事である保証はない。僕の心配を見透かしたかのように『この車体は堅牢よ。まだまだ完全に走れるわ』と彼女は言う。

「タカヤマさん、後ろの座席に移動できる?」
「ああ、なんとか」
「後ろの席で身を屈めて、ロールバーをしっかり握ってるのよ。絶対に頭をあげないで。それとこれを」
 キャロルはそう言ってホルスターから自動拳銃を取り出し僕に渡す。
「そんな、僕は訓練を受けてない。銃なんて扱えない」
「左側のセーフティーを下げる。あとは両手でしっかりと握ってトリガーをひく。映画とかでみたことあるでしょう。それだけよ。当たらなくても撃てば相手は一瞬身を隠したりする。その間に逃げるのよ」
 渡された銃の重さにわずかばかり手が震えた。そんな僕にキャロルは一瞥もなく急がせた。
「早く!移って」
 揺れる車の中、後ろの席に移動し言われる様に身を低くした。
 再びSUVが迫ってきたのを感じた。エンジンが唸ることと蛇行することでそれが分かった。次の瞬間、リアパネルに何かがぶつかる音がすると運転席側のドアガラスに全面、ひびが入ったようだった。
「伏せて!」キャロルが叫ぶ。いっそうに蛇行する車。連続に破裂音がし、僕は頭を抱えて車体の床に突っ伏した。
「車が止まったら、外に出て全力で走るのよ。ガードレールを越えて、草むらの中に逃げるの。今は高架じゃない、平地だからどこかでフェンスを乗り越えれば市街地に逃げられる。銃は必ず持って」
「どうするつもりなんだ」
「車の追手は私が始末をつける。だからあなたは逃げるのよ」
「どこへ逃げればいい」
「なんとかして厚木へたどり着くのよ。もし幸運ならば誰かがあなたを保護しに来てくれる。状況は基地もわかっている。もうすぐ基地の仲間も助けに来るはず」
「君はどうする? 助けがくるならそれまで逃げて……」
「それまではもたないかも」
 そう言った彼女を後ろから覗き込んだ。彼女がハンドルを握る手と腕から血が滴り落ちていた。銃撃を受けていたのを知り、僕の中で熱い何かが噴き上がるのを感じた。
「キャロル!」
 彼女は僕の呼びかけに『つかまって!』といい急ブレーキを踏んだ。衝撃が後ろから僕を前方座席に放り出そうとするのを手と足で必死で耐えるが座席の間で酷く身体を打ち付けられるのを防ぐのは無理だった。

 車は完全に停止した。ガソリンかオイルの匂いがする。それに気づいたのがどれくらいたった後なのか分からなかった。辺りは静かだ。キャロル?

 引きずるような足音が聞こえる。追手か? 何とか身体を動かそうとするが平衡感覚がないような、手も足も自由にならない感覚が抜けない。身体のあちらこちらが酷く痛んだ。目の前にキャロルから手渡された拳銃が落ちている。それを握り、セーフティーレバーをスライドさせ固くグリップを握った。目線を動かす範囲に誰も映らないが、確実に人の気配は感じられた。会話は聞こえない…… 一人か。

 引きずる足音は僕の頭側にあるドアの前で止まる。
ドイツ語が聞こえた『まだ生きてやがるか?』そう聞こえた。
何回か試した後に無理やりにドアは開けられ、額に血をにじませた男が覗き込んだ。
「お前の為に仲間がやられた。償ってもらうからな」
 男が銃を構えようとした時、仰向けの僕は先に銃を撃った。生暖かい飛沫が顔に飛んで視界から男が消えた。人が倒れる音がした。

 頭を少し上げてキャロルの方を見る。運転座席の彼女は顔を反対側にしてハンドルに頭を預けている。だらりと下がった右腕から血は滴り落ちるままだ。『キャロル……』呼びかけに彼女はほんの少しも応えてくれなかった。

 何人かが走る足音がするような気がした。けれど僕にはもう抵抗する力も意思も残っていない。

 ここは日本の筈だ。もう一時間も走れば実家にも着く。周りで何人もの人が倒れる場所ではなかった筈だった。そして僕が自分の身を護るためとはいえ、銃で人を撃つことなどあり得ない筈だった。数時間前に会ったばかりの、本国に両親が待つキャロルが戦地でもない日本で血を流すこともなかった筈だった。

 どうして、どうしてこうなった? ここは一体どこなんだ……
遠くでまた乾いた音が数回鳴っている。
 サツキ、三佳さん、坂崎さん…… 無事でいてくれ…… 僕は銃を胸に置いたまま目を閉じた。サツキの髪の香りがしたような気がして、僕の意識は遠のいていく。


 ㊵へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

Queen - Bohemian Rhapsody (Lyrics In Japanese & English
Queen Official


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙
世界はここにある㉚


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?