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Moon River   (NN様企画参加作品)

(本文約5400文字)

 月面着陸船MR5は周回軌道の母船より離れ、着陸下降用エンジンをスタートしようとしていた。その時、着陸船に周回軌道上の宇宙ゴミが接触、MR5に重大なアクシデントが発生する。

 コクピット内に響き渡るアラーム音。船体は回転をしながらその高度を下げつつあった。

「何があったの!? ジェームズ!? こちらでMR5の制御が不能になっているわ。 ジェームズ! お願い! 応答して!」
 司令船のキャシーはMR5のジェームズに緊迫した声で繰り返し呼びかける。
船外カメラが捉えるMR5は計画進入角とルートを大きく外れ、このままでは月面に激突してしまう。

「ジェームズ!!」
「キャシー、船体姿勢制御ができない。何かが衝突してコントロールが不能だ。下降用エンジンも圧力が下がっている。どこかに破損がある」
 対照的に落ち着いた口調のジェームズはそう応答した。

「リカバリー用のテストを流して! 自動制御のリカバリーを早く!」
「ダメだ。自動制御は全てダウンした。手動による操作もできるかどうか」
「ジェームズ! 諦めちゃダメ。私がカメラで確認するから。まず姿勢制御を! Z6を三秒間噴射して!」
「了解…… 噴射した」
「次、X8を2秒噴射」
「了解…… 噴射した」
「ジェームズ、その調子よ。回転が緩やかになってる。もう少し頑張って」

「キャシー、下降スピードが速すぎる。逆噴射もできない」
「あきらめないで、ジェームズ!」
「ありがとう、君と宇宙にこれて幸せだった」
「だめよ…… ああ、お願い…… 神様……」
「ありがとう……」

 小さな光が月面に光った。キャシーの声が司令船の中で響く。
「ジェームズ!!」

 ☆☆☆

「先生、その着陸船がここに墜落したんですか」
 ケビンは講師に訊ねた。
「ああ、実際にMR5が衝突したのは、このドームの外のクレーターの中だ。丁度、新しいドームの建設現場のすぐそばだ。事故後に捜索隊がMR5の残骸を発見してる」
 
 今から300年前、まだ人類が数人しか月面に立っていなかった頃の話だ。今は人工ドームに覆われ、地球上と同じ環境で生活できる月面都市を各所に作っている人類。ケビンは月面開拓史の授業で知った過去の事故に想いを馳せていた。
「今でもその残骸が見れるって本当ですか?」
 別の生徒が質問する。
「いやいや、殆どの残骸は事故の調査の為に政府によって回収されている。そりゃ探せば何かはあるかもしれないがね。なにせ300年も前の話だ。あっても宇宙風で飛ばされ散逸してしまっているだろう」

 講義のあとケビンは、ガールフレンドのリプリーに短いキスをしてから、とっておきの提案をした。

「リプリー、明日、ドームの外に一緒に行かないか?」
「え、車はどうするの? 訓練を受けていない学生はシェルモービルは借りれないよ。開発公団の人か軍人か警察と一緒じゃなきゃモービルにも乗れないし。ツアーなら別だけど……」
「姉貴に頼んだんだ。姉貴は公団の技師だから、毎日のように建設中のドームに出入りしてる。見学させてほしいって言ったらリプリーも一緒にどう?って、姉貴が言ってくれたんだよ」
「キャシーがそう言ってくれるなら行こうかな」
「OK! 決まりだ。じゃ、明日の午前の講義が終わってから」

 ☆☆☆

 8輪走行のモービルはキャシーの操縦でケビンとリプリーを乗せ、建設中のドームの周りを走っていた。巨大な新ドームの外郭はほぼ完成している。20万人が居住できるこのドームとケビン達が住むドームはシャトルチューブで繋がれ、宇宙服を着装せずとも自由に行き来ができるようになる。月にはすでに2億人の人類が地球より移住している。

「姉さん、MR5のこと知ってるだろう?」
「MR5?…… ああ、月での最初の死亡事故になった、あの着陸船のことね」
 新ドームの外郭壁を見ながらモービルを運転するキャシーは、新しいドームの外郭壁の安全性についての説明をするつもりでいた。そこへケビンの問いは今や昔話の一つとなったMR5。その名が出たことに少々拍子抜けした。

「この近くに墜落したんだろ?」
「そうね、正確な墜落地点はすぐそこよ。そう言えば新しいドームの中にMR5の追悼碑を作る話がコミュニティ総会で出ていたようよ」
「姉さんは現場に行ったことがあるのかい?」
「いいえ、私はないわ。だってあそこは……」
「何かあるのかい?」ケビンはキャシーが何かを言いかけてやめたことに興味を持った。

「あの一帯はまだ当時の事故機の残骸が残っているそうで、あまりいい噂を聞かないのよ」
「大学の先生は、残骸は全て回収したと言ってましたよ」
 リプリーはケビンと顔を見合わせながら言う。

「うーん、表向きというか…… 確かに事故の原因を調査するための回収作業は行われたそうだけど…… でもね、それは事故から随分と後なの。当時の月へ人類を送る計画はそんなに進んでいないし、技術的なことやその後の地球上での様々な問題が絡んで、今のように月へ人類が移住するようになったのはせいぜい30年前くらいからでしょう? つまりMR5の事故の調査なんてのは遺跡の発掘みたいなものなのよ。考古学者の」
 キャシーはモービルを一旦停めてリアシートのケビンとリプリーへ振り返った。
「なぜ今、MR5なのよ?」
「なんか、かわいそうじゃないか?」
「へぇ~」ケビンの意外な言葉にキャシーは感心した表情をみせる。
「ケビンがそんな風にMR5に興味を持っているなんてね」
「だってその歴史が無ければ、月への移住計画だってないわけだろう?」
 ケビンはリプリーの手を握りながら言った。ケビンもリプリーも、月に移住した両親のもとに生まれた月での新世代である。年の離れた姉のキャシーは地球で生まれ幼児の時に両親と共に移住したが、二年間の地球への留学の他は彼女も月で育ったと言っていい。

「事故は不幸な出来事だったけど、尊い犠牲の上に私達の今があるのは間違いないかもね」
 リプリーはそう言ってケビンの肩にもたれ、モービルの天窓を眺めた。漆黒の天空の中に無数の輝きが散りばめられ流れをつくる銀河が見える。

「姉さん、行ってみないか?」
「どこへ?」
「MR5が落ちた場所に」
「だからあそこはいい話を聞かないのよ」
「なんだよ、どういう話なんだよ」
「あそこに行くとゴーストが通信回線を狂わすのよ。それで捜索隊も遭難しそうになったとか…… 現場を調べていた科学者の宇宙服の生命維持装置にトラブルが発生したとか……」
「なんだよ、それ! 古い地球のゴースト話じゃないか」
 ケビンは大層に笑った。
「ケビン、笑っちゃだめよ。なんだか気味悪いじゃない」
 リプリーはケビンの宇宙服の袖を引っ張る。
「モービルから外へ出たら、この宇宙服だけが頼りなのよ。それがトラブルになったら私達も冗談じゃすまないわ」
「そりゃそうだけどさ、リプリー。トラブルはあくまで何か原因があって起こるもんだ。この宇宙服はこの30年で事故ゼロだよ? それが当たり前なんだ。いや、そうでなければならないんだよ。それがゴーストの為に故障が起こったなんて言われてもさ……」

「あんたも科学者のタマゴだと言いたいのね」
 キャシーはケビンの言葉に異議を唱えるわけではなく呟く。
「なんでそんなことが吹聴されたんだよ? 姉さんも信じてるのか? 公団の若手技師の姉さんがゴーストだなんてさ。ここは月だぜ? 大宇宙の中の地球の衛星である月の上だぜ?」
 ケビンはまた笑いながら言った。

「分かった、じゃあ行ってみる?」
「え、キャシー、大丈夫なの? 危険じゃないの?」
「大丈夫、地形的に危険な場所だというわけじゃない筈。それにこのモービルの駆動輪は頑丈だから、鉄くずを踏み越えても事故らないわ」
 リプリーを安心させるようキャシーは言った。
「なんだよ、姉さんも行く気満々じゃないか、ゴースト話なんて信じてないんだろ?」
「そういうのじゃないわ」
 キャシーはモービルを起動させた。
「私も確かめてみたいのよ。噂の景色を」
「なんだよ、噂の景色って?」
 ケビンは操縦するキャシーの背に問いかける。

「殉職したジェームズ飛行士が最後に見た月の川」

 ☆☆☆

 MR5の事故現場にはそこから10分ほどで到着した。巨大なクレーターのリム(クレーターを囲む盛り上がった部分)が小高い丘のようになり、クレーターの内部を隠す。モービルはそのリムの頂上付近にまで近づき止まった。
MR5はこのリム付近に激突し、バラバラになったのだそうだ。

 三人はモービルから出て月面を歩く。月に住んでいるとはいえ、ドームの外を歩くのは年に数回位だ。地球や重力装置のあるドームの中とは違う、小さな重力を楽しみながら。

「ね、もうすぐ地球が半月状になるわ」
 リプリーの無線音声を聞き、ケビンは地球を眺める。
 青く光る地球。まだ行ったことの無い自分達の母星。来年、ケビンとリプリーは二年間の地球留学をする。歴史で学ぶ地球の大地と空と海とやらをこの目で見、そして自分達が生まれ育った月を空に眺める日がくるのだ。

「見て、ケビン、リプリー! これ、MR5の遺留物よ、きっと」
「遺留物? 残骸だろ? 姉さんそれはエンジニアらしくない言い方だよ」
「いいえ、これは遺留物のほうが正しいわ」
 ケビンはキャシーの手のものを覗いた。それは月では見たことの無い、動物の皮らしき装丁の手帳という過去のものだった。
「昔の人が文字を記入してたものね、メモとか日記とか」
 民族学を専攻するリプリーが興味深々で覗き込む。三人のヘルメットがコツリコツリと当たる。
「これ、もしかして、事故にあった……」
 ケビンの想像には二人も同感だった。
「そうかもしれないわね。だとしたら大発見よ」
「中を見てみたら?」
 リプリーがそう言って、キャシーが手帳を拡げようとした時、無線音声を聞くインナースピーカーにノイズが乗った。
「ん、何か聞こえる?」
 ケビンとリプリーも何か聞こえているようだ。そのノイズは段々と大きくなる。
「なに? スピーカーノイズが…… 聞こえる? ねえ、キャシー? 聞こえる?」
 ノイズは大きくなり、三人の交信は不通になりかけていた。キャシーは手振りでモービルに戻るようにケビンらに伝え、二人は大きく手を挙げた。

 キャシーはモービルのハッチを開けようとスイッチを押す。するとインナースピーカーから出ていた大きなノイズは止み、逆に小さく音楽のようなものが流れるように聞こえだした。
「ねぇ、交信できる? ケビン、リプリー、聞こえてる?」
「ああ、姉さん、さっきのはなんだよ、もしかして本当にゴーストだったのか?」
「違うの! そんなことより、今、なにか聞こえない?」
「なにか音楽が聞こえるような……」
 リプリーが答える。小さくだが確かに聞こえる。

 半月状の地球の光に照らされ、三人のいる月面は一層明るくなる。するとクレーターリムの頂上付近から煌めくダストが流れ出すように新ドームの方へ連なる様が眺められた。
「MR5の機体の残骸が細かくなって連なってるようね」
「アルミニウムかな、宇宙風に煽られて連なり流れのように伸びていってるのかもしれない」
「まるで天の川のようね」
 キャシーとケビンの言葉を聞き、リプリーが呟く。それが一番言い当てていると二人は思った。

 モービルに戻った三人は手帳を開いてみる。300年も前とは思えない、つい昨日にそこへ落としたようなそれの最初の頁。
最初の言葉にケビンは驚いた。

愛するキャシー。
僕は幸せだった。君とこうして宇宙へこれた。
けど残念ながら僕だけは帰れない。
いつか君がこの手帳を拾って僕のことを思い出してくれたら
そんなことを期待してる。
もう酸素が切れる。
さようなら、キャシー。
きっとまた会えるよ。
このMoonRiverで
母なる地球を見上げて。 
ジェームズ  May 24th  19〇〇

「キャシーって、姉さんと同じ名前?」
「そう。キャシー・マクドネル飛行士。MR5の司令船に乗っていた女性飛行士」
「殉職したジェームズ飛行士って、キャシーさんの恋人でもあったってこと?」
 リプリーの問いにキャシーは小さく頷く。
「キャシーはね、事故の瞬間はあまりに動揺していて無線音声を聞き取れてなかったらしいの。けど事故後、地球で交信記録を解析した結果、キャシーが聞こえてなかったジェームズ飛行士の最後の言葉が断片的に残っていたらしい」
「なんて言葉だったの?」
 ケビンが訊ねる。

「それが『MoonRiver …… I’m crossing you in style someday』※₁っていうのだったらしいわ」
「月の川 いつか堂々と渡ってやる?」
 ケビンが小首を傾げる。リプリーは遠い記憶をたどっているかのように目線を宙に這わせ『あっ』と小さく叫んだ。

「それ、ものすごく古い歌ですよ。確か、なにかの映画の主題歌だった」
「どんな歌か聞いたことある?」
 キャシーが訊ねると、リプリーは『確か聴いたことあったと思うけど…… ちょっとすぐには思い出さない』と残念がった。

 三人がその曲をドームに帰ってからライブラリーで探し出し、視聴した時に驚いたのは言うまでも無く。
 それはあのノイズの後に小さく流れていた音楽であったからだ。

 月の川を渡るために、夢を追いかけた二人。
彼と彼女はようやく虹のたもとにたどり着いたのかもしれない。


完 


 Moon River by Audrey Hepburn
 From Breakfast at Tiffany's 
※₁ Moon RIver 作詞 Johnny Mercer


 Moon River by  Mami Hatanaka


 お世話になっているNN師匠の企画に参加させて頂きました。
NN師匠のご専門であるSF特撮を脳裏に描きながらも、少しロマンチックな雰囲気も醸し出してみようかと思いました。
NN師匠、いかがでしょうか?

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