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ケケケのトシロー 2 

うだつのあがらないサラリーマン人生を終え、現在は時給1070円で働くトシロー。家族は妻と娘が二人。収入が減少してますます家庭の中での存在感をなくす一方で彼は小説家を目指すも、才能もなく日の目を見ることはない。
ある日、妻の真由美におつかいを命じられたトシローはスーパーで万引き騒ぎを見かけ、言わなくてもいいことを言って、やんちゃな兄ちゃんに目をつけられてしまう。

前回あらすじ

(本文約2600文字)

「あ~? 誰のこと言うてんねん、コラッ!」
 膝がカクカクからガクガクと震えが変化していた。ガクガクは膝から腰椎ようつい頸椎けいついを経由し頭蓋骨と脳に緊急事態を知らせる。俺の頭はゼンマイ仕掛けのブリキのロボットのように左右にプルプルと振れた。

「え、え、な、なんのことでしょうかね?」
「お前、俺が詐欺してるとか言うてたんとちゃうんか? お?」
「いえ、いえ、いえ、いえ、そのようなことは……」
「ほざくな、コラッ! 聞こえとんじゃ、コラ」
「いや、言ってませんよ、ね~?」

 さっきまで喋っていたおっさんを探す。こういう場合『いや、この人、そんなこと言ってませんよ』って言ってくれるのが人情というもんだ。ところがおっさんは積み上げられた特売のサラダ油の箱積みの山に向かい、「あ~これは安いな~」とわざと聞こえるように言いやがった。
 
「嘘つけ~コラッ!!」
 あんちゃんの語調がいっそう強くなる。
「いや、わしは聞いてただけやで、その人の言うこと」
 油から目を離さず、向こうをむいたままおっさんはぼそっと言った。

「ジジィ、顔かせや」兄ちゃんは私の胸ぐらを掴むと強引に店の外へとつれだそうとする。

「へ、いや、私、大根を買わないと……」
「やかましい! 大根でも人参でも後で買え。来い!」
「いや、ちょっと待って、ニンジンはいらんねんけど、て、店長さん?」
さっきまで平身低頭の店長は? 客がもめてるで! ちょっと、間に入って止めてよ……
 
え、レジ打ちしてるやん、あー終わった、もう、おわった……
廻りのギャラリーは俺と兄ちゃんの花道をつくるようにサーっと散る。俺は引きづられるように外へと出され、ひと気のない店の裏にあるバックヤードへ連れていかれた。

「あの、すんません、私、別に、貴方が万引きしたとか言ってるんじゃなくてね、テレビでね、その、こんなこともあるで~って」

言い訳する俺に兄ちゃんは、胸ぐらを絞り上げるようにして顔を再び近づける。くさ! こいつ、ニラ餃子食ったやろ。いやそれどころでは……

「こういう場合、どうオトすかわかるわな?」
兄ちゃんが俺を睨みつける。ますます顔が寄る。餃子は好きだが他人の口臭は旨い匂いに思わないのはなぜだ? なんかちょっと股間がなま暖かい気がする。いや、それどころでは……

「あの、あの、こういう場合は、その、どうしたら……」
 兄ちゃんは胸ぐらを掴んでいた手を放してニヤニヤ笑う。

「そりゃ、名誉棄損やからな。それなりに責任とってもらおかな。裁判したら慰謝料やろ、そういうこっちゃな」
「それはスーパーの店長さんに……」
「いや! 俺はお前に傷つけられたんや。お前や、さあ、どないすんねん!」
 兄ちゃんはまた語気を強めて、俺の斜め上から見下ろすように睨んでくる。
「今、これだけしか」
 俺は200円を見せた。
「お前、俺をなめとるようやの」
 その瞬間、息ができなくなった。たぶん兄ちゃんの膝が俺の腹に突き刺さったのだと思う。俺はその場でうずくまってしまった。息が詰まったあとに酸っぱいものが逆流してくる。ゲロッパ! ジェームス・ブラウン! いや、それ……どころ……では……

「けっ! ジジィが! 人、見てもの言えよ、ボケ!」
 うずくまる俺をもう一発蹴ってから兄ちゃんは去っていった。しかも蹴られた際に落とした200円をちゃっかり持っていきよった。

 俺は暫くそのまましゃがみ込んでいた。股間が生暖かさから冷たさに変わっている。ゲロッパも併せ、うー気持ち悪い。小学校2年以来の恐怖による失禁か…… 

 授業中トイレに行きたくなって先生に小声で「おしっこ」と言ったら、先生は「ふざけたら怒るよ」と言って睨んだ。俺はその先生が怖すぎて我慢してたのだけれど、授業が終わるのを待たずして果ててしまった。
『あー快感』はその時限り。おれは小学校6年まで『チビリ』と言うあだ名に甘んじる。
 それ以降、ちびる人生だけは避けて生きてきたのに、まさか還暦越えてちびるとは…… 人生は巡り巡る。時代は巡る、悲しみ悲しみ繰り返し……

 あ~どうしよう…… 200円とられてしもたがな…… このまま帰ったら今度は真由美に怒られるし、ちびってるし、ああ、もうなんでこんなことに。そもそも真由美を小説で殺したからか? いや、殺してないやん、まだ。
 
 帰ってから書きなおそう。俺が殺されて、真由美が犯人と高笑いすることにしよか? いや、それやったら最後は真由美が主人公に成敗されてまうし……

「もし? 大丈夫か? なかなか情けないのう ケケケ」
 俺はその声に頭をあげ、涙目で声の主をみた。逆光のなか、男らしきシルエットが俺を見下ろす。

「見てた?」俺はそのシルエットに訊く。
「あー見てたで ケケケ」
「そんな…… 助けてくれたっていいですやん」
 俺は蹴られた腕をさすりながらそいつに言った。

「お前が俺なら、助けたか? ケケケ」
「そりゃ、助けますよ。若い兄ちゃんが年寄りを蹴ってるんでっせ」
「嘘つけ ケケケ ケケケ」
 そいつは喋るたびに俺をあざ笑う。ケケケってなんやねん。ゲゲゲは知ってるけど、気持ち悪いやっちゃのう。

「お前は絶対助けてない。そんな男気があるんやったら、スーパーの中で仲裁に入ってたやろ? ケケケ それをせんとしないで、お前は野次馬で、相手の兄ちゃんの陰口言うてただけやろ。ケケケ」

「それは……状況をよく知らんかったから……」
「そういうの言い訳やで…… ケケケ、お前、言い訳ばっかり ケケケケケケケ」

「うっさいな!さっきからケケケ、ケケケって、ええわ、どっか行ってくれ」
「情けないのう、ケケケ」

 そう言ってそいつはスーパーの入り口のほうへ向かって歩いて行った。いったいどこのどいつや? よく人相を覚えておいてやろうと男を見ていたが、不思議なことに顔も姿も服装も印象に残らない。なんや影みたいなやっちゃな。

 俺はその変な奴の気配がなくなってからも暫くそこに座り込んでいた。ちょっとゲロッパしたからGパンも汚れてる、いや、ゲロッパより問題は、ぐちょぐちょの黄金水事案や。仕方ない、このまま帰らざるをえないな。俺はゆらゆらと立ち上がった。腕が痛い。いてえよ~。

 少し風が出てきた。股間が風に煽られ冷えてくる。知らぬ間にガクガクは止まっていたが、今度はブルっときた。

 トボトボと来た道を戻る。俺はホント情けないな。あいつの言う通りかな。俺は俯いたままマンションまで戻ってきた。

「大根……」真由美に言い訳しないと…… 



3へ続く


エンディング曲

NakamuraEmi 「Don't」



新連載です。週に1~2回の更新ペースになるかと思います。宜しければご愛読ください。

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