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世界はここにある㊷  第三部 

 スマートフォンが着信を伝えた。彼の番号を知る者はそう多くない。それはプライベートなものであり、家族の他にはごく一部の側近の者か、彼が本当に信用している数名の親友である。その中に高山尚人がいた。

「ナオトか?! 今どこにいる?!」
「フランツ、久しぶりだな。今、ベラギーへ向かっている道中だ。ロシアから脱出した」
「ロシア! どうやって?! よく無事で…… とにかくこちらからも手を回す。君の安全は私が守ろう」
 フランツ・シュナイターは数年ぶりに高山尚人本人と話すことに興奮していた。

「フランツ、話は聞いているだろう」
「フラクタルのことか、日本の事件のニュースは私も確認している。ただ世界のほとんどは日本で起きた訳の分からないテロ犯人の妄言だとの論調だが」
「核戦争だとか陰謀論がささやかれているようだな」
「彼女をジャンヌ・ダルクともてはやす風潮もあるようだ」
「フランツ…… 私が君に連絡をした理由はわかるな」
 フランツはわかっていた。彼が、彼自身が研究しそして生み出した『フラクタル』の功罪を、そして自分自身もその成果を利用したことも。

「すべてを明かすつもりなのか? ナオト」
 高山は少しの間をおき『ああ』と答え、また少し間をおき重い口調で言う。
「ロイのことだが……」
「隠すわけにはいかないだろうな」
 フランツも同じトーンで答える。
「すまない。そのために君も難しい立場になるだろう。ロイはまだ小さい。これからどういう非難を彼が受けるか…… 想像するのは難しくない」
「ナオト、私はいつかこんな日がくることは覚悟していた。君がロイを救ってくれた時から…… ナオト、私はロイを、ベラギー王国の将来の王として守りたいから君に頼んだのではない。妻もそれは同じだ。私の、私達の息子を救いたいが故に君に頼んだ。私達は感謝している。我々が今の立場を失うことがあるとしてもそれは変わらない。息子のことは私が命を懸けて守る」
 
 フランツはそう言いながら、あの日の事を思い出していた。息子のロイが遺伝子異常が原因と思われる難病を発症したのはまだ1歳になったばかりだった。当時の医学、科学ではロイが生き、成長できる確率は皆無と言える状態。フランツは自身の力の無さを思い知る。自分はその専門家であり世界のトップだという自負があった。しかし息子に訪れた悲劇のストーリーを変えることができない。先端を行く科学者であるにも関わらず、ゆえに論理を積み上げた結果、残酷な解を導かねばならないことに。フランツは自分の身の上も重なり、どれだけ自分が無知であった方が良かったかと呪う日々を過ごしていた。

 フランツはヒスマン家から養子としてこの王家の一族となった。シュナイター家は元をたどればヒスマン家の一族であり跡継ぎのいないベラギー王家はフランツを大切に育てた。ヒスマン家当主もベラギーのシュナイター王家に影響力を及ぼすこの縁組は利があった。しかし東側陣営に影響力のあるヒスマン家にとってベラギーが西側の科学技術の発達に大きな力を持ち出すと次第に両家の間に亀裂が走り出す。そしてその後ろにロセリスト家の影が見え隠れする。中世より対立し覇権を取り合ってきた両家の対立はイデオロギーなどで語るものではない。世界の裏の、真の盟主が誰であるかという戦いである。そしてその中で世界の歴史がつくられてきた。
 彼、フランツ・シュナイターはそういった世界から抜け出すことは出来ない運命にある。しかし息子、ロイ・シュナイターは自由に生きて欲しいという素望もあった。

 そんな中、ロイが病魔に侵されたことで絶望の淵にあるフランツに手を差し伸べたのが高山尚人であった。同じ研究者として高山は唯一無二のアイディアを持っていた。そしてまさにロイを襲った悪魔を駆逐した経験者であることをフランツはその時に知ったのだった。

「ロイは元気か」
「ああ、元気に育っているよ。5歳になる」
「そうか…… ロイはこのまま問題なく成長する。彼は完全な人間だ」
「ペア…… ヒデト君はどうなんだ」
「80億分の1の彼のフラクタルはもう必要ない。まさか私の息子の遺伝子にそんな奇跡があるとは思ってもみなかったが」
「彼は今、大丈夫なのか?」
「問題ないだろう、米側に保護されている状態だと思う。私も詳しい話は聞いていないんだ」
「アメリカは彼を本当に守るのか?私にはそうは思えん」
「私がフラクタル計画をこの世から消せば、英人はもう必要ない。ロイに必要がないように。彼は普通のどこにでもいる日本人の男になる」
「しかし」
「ナオとサツキくんのことか」
「二人も救わなければ」
「私が救う。フランツ、サツキ君を頼む。ポール・ヴュータンに気付かれぬように。それから彼のそばにいる科学者……」
「ドクター・ブリュスコワだな」
「彼らは危険だ。すでにワクチンで成果も出している。英人とナオ、サツキ君が彼らの手に堕ちれば彼らの計画は完成してしまう。鍵はまだこちらにあっても、全人類を人質に取られれば我々は降伏せざるを得ない。ロイが鍵だと思っているうちにこの戦争は終わらせる」
「自分の罪はどうする」
「償い方は世界が決めるだろう…… ただ、それで世界をわが手に治めようとする連中は私が道連れにする。一人も残さない。フラクタルは永久に続けない。自己相似の無限構造を完全に止めるんだ」
「ロセリスト…… ジェームズは特に強敵となるぞ」
 フランツの言葉に高山はそれ以上は話さなかった。フランツは救援の手との合流方法を短く伝え電話を切った。

『自分の罪はどうする』と高山に訊いた。しかしそれは自身にも問うべきことだった。自分の罪はどうする。フランツは母の信任も厚い愛国者の仮面を被った敵と戦う時がきたことを知り決意する。彼はスマートフォンで妻を呼び出した。

「サラ、話がある。私に食べるものを届けるようなふりをして研究室のほうへ来てくれ。一人で」


☆☆☆☆☆

「君の命が? フラクタル3.0計画というのは君自身だと?」
 阿南は気付かぬうちに目の前のマイクを掴んで喋っていた。計画を明かせと要求した当事者がその計画そのものだという。では我々に何をせよと言うのか。

「私はとても奇妙な生き物です。生物学的には人間ですが、私のDNAには他の人がもたないものが含まれています。そしてこれは極めて偶然に出来上がったものです。けれどこの私の一部を使って生物兵器を作ろうとした人がいました。そしてその生物兵器は人の命を奪う事も、逆に人間として例がないくらい飛躍的に能力を向上させることができる。そしてその脳には同一の意識さえ埋め込むことができる。相似の状態のクローンを異なる人間の中で自己増殖することができる。『遺伝子のフラクタル』その試験体が私です」

「もう少し個々のことをお伺いしたい。例えば先ほどのワクチンも君の一部が使われているということですか」
 友安官房長が訊ねた。

「そう。私の意志とは関係なくサンプルを盗み出し、そしてそれを開発した。それは米国も中国もロシアもインドでも同じ。その他EU諸国でも秘密裡に行われているはず。兵器の開発競争を裏で画策し、資金を敵味方関係なく出したのがチャールズです。そのあたりは米国大統領に詰問すればいい」

「兵器というが、我々はそのワクチンのせいで死ぬことがあるのか」

「病気になって死ぬということではありません。貴方の自己意識を乗っ取り貴方という個人を殺してしまう。そうすれば…… そうですね、わかりやすく言えば完全に洗脳された人類がたった一握りの人間の為に存在するというほうがわかりやすいでしょう。為政者が死ねと言えば貴方は何の疑いもなく
何かの方法で死ぬでしょう。まるで先の大戦で命を投げ出した兵士のように。まだ彼らには信じる大義があった。けれど貴方にはそれすらないのです。プログラムされたロボットと同じ。全くの人間であるのにです」
「そんなことができる筈がない」
 誰かが口火を切り異口同音に閣僚たちは叫ぶ。

「私は別の方法でその証明をしました。そしてそのアプローチを遮断する方法もあります。私が持つ鍵がある限り、彼らのワクチンの効果を表出させることをできなくしたのです」
「証拠はあるのか!」
「数時間後にそれは証明しましょう。米大統領と阿南総理、全世界の方にそれを見てもらえます」

「君の本当の目的はその計画を潰して、関係する者を何らかの形で処罰する。そしてそのフラクタル計画で開発されたワクチンも効果の無いものにする……ということでいいかね」
「概ねそれでいいでしょう」
 ナオは表情を変えず頷いた。
「君はどうする。君も裁きは受けなければならない。君が我が国に行ったことは重罪だ。成人であれば死刑の可能性もあるのだぞ」

「当然裁きは受ける覚悟です。死で贖えというのであれば……」
「待て待て」
 阿南はナオの言葉を制した。
「君はまだ子供だ、見る限り。君の周りには大人が沢山いるだろう。君の関係する組織の人間が…… それらは皆、投降するのか。君が指図をすれば」「大人は皆、その覚悟です。子供は別です」
「他にも子供がいるのか?」
 閣僚たちがざわつく。

「子どもは戦闘行為には一切加担していません。それに彼らは私の鍵を使えば数分後にはダヴァースの記憶はなくします。そんな子供達を罪に問えますか?」

 沈黙が双方に流れた。会議室の時計はリミットまで4時間を数えていた。

「ナオさん。クリス大統領と回線をつないでもらうことは出来るか」
 阿南がそう言うとナオは今日、初めて笑顔を見せた。
「すぐにアプローチしましょう。阿南さん あなたの決断を誇りに思います」
「しかし、これで日本が戦場になる確率が増えたかもしれん。米国は我々を守らない。世界を敵に回す可能性もある」

 いつしか雨が降り出したようだった。官邸の中の彼らは誰一人それに気付いていない。雨足は次第に強くなるが、それは迫りくるものの足音を消すには充分過ぎた。
 

 


 ㊸へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

Rain (From "The Last Emperor")
Ryuichi Sakamoto


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶


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