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正しさより気持ちをわかってほしかった長女気質の話

長女気質専門コンサルタント、佐藤優華です。

長女気質とは

頑張りやで自分に厳しく、相手の気持ちを思いすぎてしまう。
そんな「長女気質」と言われる特徴が強すぎて、自分を好きになれない。
頭の中にいつも悩みがある。

そんな方が、もう少し楽に。自分大事に。
楽しいを感じながら毎日を生きるサポートをしています。

私自身、長女気質が強い長女だったので
自分はダメだと、いつも思っていて。
そう思わないとダメ、とも。

今は長女気質を緩めて、楽に、私がしたいことを日々やっています。

なんて書くと、すごく楽しいことだらけに聞こえるかもしれないけど、
実際は、したいことをやってても、
嫌な思いや悲しい気持ちになることは以前と同じくらいある。
そう、そんなに変わらない。

でも自分を理解して、やりたいことを行動していくのは
「本音と建て前」的な、心と言葉の不一致もないので、
エネルギーを必要なことだけに注げて、すごく心地よい。

何より、自分を大事にできるようになったら
人からも大事にされていると実感できるようになったのが良かった。

それまでは、
私よりも相手を大事にする姿勢を見せていくことが、相手からも大切にされるために必要なことだ
と信じていたから。
それは全くの真逆だったけれど。

私は単なるコマの一つ


以前、カウンセリングで自分の過去を掘り下げていったときに、
「役に立たないと、居てはいけない」が出てきて、
そのさらに奥に
「私は単なるコマの一つ。」の想いを見つけた。
だから、自分を素晴らしいと思うといい、みたいな言葉は空々しいと感じるのかもしれない。

私の両親は幼少期に離婚し、母は1人で私と妹を育てた。
生活が大変な中、精一杯の愛情を向けてくれた。
でも、母にはいつも正しさと世間体を超える判断基準はなく、

できないことや間違い=ダメ。

これが揺らぐことはない人。

中学の時、子供たちの暗黙の了解で「1年生はコートを着てはいけない」という裏ルールがあった。が、母は「そんなのおかしい。風邪をひくから絶対に着て行きなさい」と。
そんなの無理、やだ、目立つし着て行きたくない。
一瞬で孤立を招きかねない状況に飛び込むなんてできない。
そうどれだけ説明しても、ダメなものはダメ。

でもね。そんなの、着て行くふりして道の途中で脱げばいいのに、長女はそういう頭がまわらないの。
だから先輩どころか同じ学年の子達にもじろじろ見られ、案の定、放課後先輩に呼び出されて「いい度胸してんじゃん。なんなの?」と昭和のドラマ的な展開になった。
相手もただの中学生だからそれ以上にはならずに、結果、1か月後にはほとんどの1年生がコートを着て登校できるようになった。
「ほらね。だって正しいもん」と鬼の首を取ったような母。
でも、私はもっと「私の気持ち」をわかってほしかったんだよね。


「子供は失敗するから、わからないんだから、失敗しないように親が厳しく指導しないと」
つい先月も誇らしげに言っていた。(私にはそう見えた)

もちろん、全ては母の絶対的な愛からなのもわかってる。
それが正しいとされた時代背景も無視できない。
でも、愛とか、あなたのためとか、そういうのほど悪質。

「正しさ」よりも「気持ち」をわかってほしかった

「怖いよね。嫌だよね。自分で選んでいいんだよ」
「しっぱいしてもいいよ。やってごらん。大丈夫だから」
それが母にあったらどんなに良かっただろう。

きっと母にそんなつもりはないけど
「母の正しさを証明するための単なるコマの一つ」が私なのだと感じていた。
母の許可の中でしか選択できないから。
でも、そう思っているのは紛れもない私自身。

今でも、私は何かをする時に
「失敗しないように、ちゃんとしなきゃ、何か言われないように」
と思い、念には念を重ねているうちに行動できなくなる時がよくある。

だから、今は自分で「失敗してもいいよ、やってみよう、大丈夫だから」を一日に何回も言っている。noteを書くときも例外ではない。

「失敗してもいいよ」って、私にとって最も安らげる言葉。

不思議なことに、私が自分に「失敗してもいいよ」を言い続けていたら
私の周りもそんな安らぎを持つ人が増えて、ついには母も
「まぁ、好きなようにやればいいんじゃない」と言っていて驚いた。

でも、世の中ってそういうものなのよね。

そんな発見があるのも楽しくて、自分を見つめたり、クライアントさんとお話しながら、長女気質がうまくいく仕組みをコツコツ解明しています。


長女気質さんのお話を聞いて、悩みの中から幸せにシフトするコツをお伝えしています


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