見出し画像

ルーン・カードを引く@ひとり小説会議

小説の主人公が辿たどる道筋のヒントを得るために、ルーン・カードを引いてみた。

  1. 主人公の現状:MANNAZ/ 知性、思いやり、創造性、芸術性、革新性などの資質を活かす(ことが出来るはずなのに、いまだ不活性)。

  2. 主人公が運ばれていく非日常世界:NAUTHIZ/ 限界や葛藤が降りかかり、厳しい状況。それでも人々はニードファイアを灯し、苦難が終わることを祈る。自分には何もできやしないという思い込みこそが、時折を阻む最大の制限。

  3. 主人公が還ってくる世界:BERKANA/ 自分を大切にすることで、時折は再生する。

主人公の伊佐時折いさときおりは、豊かな資質を持ちつつ、活かせていないというか、開花していないというか、どうやって自分が役立てる場所を見つければいいかがわからずにいる。鬱屈している。

しかし、このテーマは普遍的すぎる。どうして、誰もかれもが誰かに制限をかけられているのだろう? どうして、人はそんなにたやすく他人が僕らに下すジャッジを信じるのだろう? お前は~が出来ない、とか、お前はいつも~だ、とか、~が雑だ、とか、うかつだ、とか、後先を考えていない、とか。人はたやすく僕らをジャッジする。僕らは確かに、いかにも無防備で、使えなくて、非生産的で、ダメなヤツに映ると思う。じつのところ、それらのジャッジは正しい。しかし、それがどうしたというのだ? 僕らはそんなにたやすく他人に支配されていいのか? よくない!

で、抑圧されていた個性が開花するまでの軌跡を描く、というような話になるわけだが、いいのか? そんなの、み~んな、そういう話になってしまうんじゃないか? まぁ、いちばん抽象的なレベルでは、こういう流れになるということだろう。

このほかに考えなくてはならないのは、モチーフ。主人公の伊佐時折が放り込まれる非日常の世界がどういうことを彼に要求するか。ここで、彼がどれくらいタフにサヴァイヴできるか、がおもしろいところだと思う。時折には、粘り強さを身に付けてほしい。できる!

家の裏の森で、フクロウが鳴いている。フクロウの鳴き声がすきだ。眠くなる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?