見出し画像

雨の森を歩く。高階思考になる。

高階思考理論って?

雨が降っている。けっこうしっかり降っている。さっきまで、外を歩いていたのだが、雨足が強くなったので家へ戻った。

一人で木立の中をぼーっと歩いていると、自分が今、確かに何か●●を考えている、ってふと気づくことがあります。電車に乗って揺られてる時とか、車を運転してる時とか。そういうこと、ありますよね? ある種のループ的自己認識に耽っているわけですが、このモードには名前がついているそうなんです。「高階思考理論(HOT理論)」という名前です。三浦俊彦の『エンドレスエイトの驚愕: ハルヒ@人間原理を考える』をここ数日読んでいて、その最終章で「高階思考理論」が出てきます。

で、僕は、今自分が何か考えてんな~、と思いながら自分を観察するみたいなモードがすきなんですが、これって、あんまり大っぴらに言えないというか、うまく説明できないし、まぁ、そんなことをつまびらかにはしないんですが、名前がちゃんとあるんだとわかって、よろこんでいるところです。

三浦によると、自分の意識について、ことさらに考えているとき以外は、「哲学的ゾンビ」であると。見た目も機能もちゃんとした人間そっくりだけど、意識を持たないゾンビだと。僕も忙しい時間に封じ込められてしまうと、意識を持たない哲学的ゾンビにたやすく変身する。

思い返せば、ゾンビ状態のときは、何か息苦しい。それでもって、どうして息苦しいのかがわからなかった。これからは、僕はゾンビになっても気付ける。

ふぅ、三浦本、読了。面白かった。こんなことを緻密に考える人がいるのかと驚くとともに、「高階思考理論」のことを教えてもらえてラッキーだった。

昨日買ったCAFE BRICCOのブルーベリー・マフィンを食べているんですが、ちょっとばかり大味おおあじで、僕が自分で作るホットケーキと大差ないような気がします。まぁ、でもすぐに食べれる甘いものがあるのはしあわせだ。

今日の晩飯は何にしよう? とかって考えている時は、さっき言った高階思考になってないよね? たぶん。冷蔵庫に残ってるものを思い浮かべて、何が作れるか考えてる時は、ものすごく実務的だから。一方で、書いてる時。こうやって書いてる時は、「じぶんの意識」を両手に抱えて、検分している感じがする。

僕がこんな風に言う時、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』および『街と、その不確かな壁』に出てくる夢読みをイメージしている。僕はイメージの詰まった頭蓋骨を抱えて、そこへ神経を集中させている。物語の中の夢読みは、視力さえ犠牲にしなくてはならない。

僕は在野ざいやの、素人の夢読みだから、もっと雑駁ざっぱくに自分の意識と接触するわけです。ただ、確かに接触していると感じる瞬間は、心地いい。それで十分かとは思う。

マジで晩飯、どうしよう? 3食入って100円ちょっとの焼きそばがありますよね? 僕は、あれをうまく作る熟練度をあげてしまって、ほんとにおいしくて、あれがあれば満足みたいになっていて、しかし、さすがにな~という状況です。

ま、ご飯炊いて、味噌汁つくるか。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?