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現実の向こう側を書く@ひとり小説会議

現実にある何かを求める、そういう小説じゃないかも。僕が書こうとしていることは、たぶん「コンセプチュアル・フィクション」とでも言うべき小説だ。

熟練した配管工/ エンジニアである伊佐時折いさときおりは、どこか鬱屈とした思いを抱えているが、自らのスキルを活かして難局を切り抜け、次第に輝き出す。それが今僕が思いつくプレミス。

何かが違う、間違っている、そんな気がする。小説のこともそうだが、現実世界の僕のまわりの大人たちも。彼らはたやすく壊れていく。わざわざ壊れていくように選択していったように思えるほどに。大事じゃないことにやっきになっているように思える。

何が起きているのだろう? 意味を切断することのカッコよさとかとは、対極にあるようなこと。拘泥。

向こう側、僕らのふだんの知覚の向こう側にあるもの。僕はそれを大事にしたい。それとの接続を失わないようにしたい。向こう側っていうのは、いま僕が知覚している世界と背中合わせに、対称的に存在しているらしい。その向こう側の世界を、僕はたぐり寄せたい。

向こう側っていうのは、クローゼットの奥にひっそりと続いている雪の道かもしれないし、キングズ・クロス駅の壁をカートでくぐった向こうにあるのかもしれないし、夜中に初めて寄ったコンビニの、妙にこざっぱりとした店員との会話から始まる世界かもしれない。

向こう側は、どこで僕らを待ち受けているかもしれない。それとの接続を切断しないように。それだけを、書く人として僕は願う。

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