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坂口恭平のように毎日10枚書く。

雨だ。明るいのに雨が降っている。

知り合いが、箒を二本買ってきてくれと LINEしてきた。
箒二本なんて、車に乗るんかな?
少なくとも、あいつの車には乗らない。だから僕に頼んできたのだ。

部屋に、フリージアを挿しているガラスの空き瓶と、アイリスという花を挿している大き目のピッチャーがある。
生き物はその二つ。部屋を閉めているので、何とはなしに花の香気がする。

そして、雨だ。
僕は今、ここに降り込められている。
悪くない。

今日もう何杯目かのコーヒーを飲んでいる。

あぁ、もう一つの花は、クリスマスローズだ。古いガラスの徳利に挿している。ガラスでできた徳利って、珍しいと思うんだけど、どうでしょう?
僕はリアルには使ったことがありません。

もう廃業した、近所の酒屋の名前が彫られている。裏にはそれこそ、アイリスなのか、菖蒲なのか、そういう花の一群れが彫られている。
とても珍しいデザインだし、どうやって作ったのだろう? と思う。

クリスマスローズはすぐに下を向いてしまうので、切り花には向かないと思うんだけど、色が美しいので、咲いている時期にはたびたび飾る。

エディタだ。

今、この文章は、Obsidianというメモアプリで書いている。
そのほかに今立ち上げているエディタは、TATEditorとWorkFlowy 。

僕はなぜだか、同じプラットフォームで順に書いていくことができなくて、あっちに書き、こっちに書きしてしまう。

なんか、かちゃかちゃと移動していないと、息苦しく感じるのだ。
書く場所はそのようにしてバラバラだったりするのだけど、定量書くことにしている。毎日。

毎日、原稿用紙10枚を書く。
それだけを目標というか、ゴールというか、タスクにしているのだ。
もちろん、最近読んでいる坂口恭平の影響を受けてだ。

10枚というと、結構な量で、それを毎日となると、もう余計なことを考えつづけることができなくなる。というと、それまで質が担保できていたような口ぶりに聞こえるが、それまでは量もたいしたことがなく、というか、全然一日に10枚などではなく、その上、質も何だかカチコチして窮屈な感じだった。

10枚は、太っ腹な量だ。想像を絶するあまり、かえって、よぉし、やろう、という気になる。理屈が崩壊している。

で、TATEditorで、今現在のページ数と原稿用紙換算の枚数が表示されるので、それで進捗を確認する。それまでは、あっちやらこっちやら、気分で書く場所を移動しつつ書いてよしとする。寝る前にTATEditorにすべてを集約させて10枚になっていたら、できた、とにっこりする。

で、手帳の、執筆がらみのスケジュールを書いているところへ、10と記入する。満足して寝る。

何かの文学新人賞とかで、300枚とかあるでしょう?300枚とか、途方もない。しかし、毎日10枚書いていれば、ひと月で書きあがる。ごくごく単純な計算で言えばですが。

かさを書くというのは、なんだか、別次元の出来事のような気がします。このタスクに取り組み始めて、そう確信しました。

嵩で思い出したのですが、大学院の試験が論文試験だったんですが、過去問とかを見て、対策をするわけです。でも、範囲などあってないようなもので、ぼわっとこういう感じのことが、ここでは領域・・・・・・。ということくらいしか、わかりません。

で、当時、実際の院生に配られているシラバスを見ることができたんだと思うのですが、そこに挙げられていた必読書で、手に入る値段のものを買ったり、図書館で借りたりして、読んでいったんですよ。そうこうするうちに、その界隈の言い回しというか、修辞(とカッコつけて言ったりしますね)に慣れてきました。そうなって、やっと過去問が解けるというか、書けるようになりました。

で、結果、院試当日は解答用紙が足りなくなって、追加の紙をもらうくらいに嵩が書けたんです。本来なら、与えらえたスペースに収まるように構成も考えて書くのがベストなんだろうけど、その時は収まり切れなかった。あの時はすっぽりゾーンに入っていたと思います。

で、無事試験には合格して、僕は院に入ったわけですが、成績がよかったらしく、何か勝手に奨学金が与えられたのを覚えています。いや、あれはほんと、どういう制度だったんだろう?

ところで、あの時のゾーンというか、フローな感覚は、どっかへ行っちゃったわけではなくて、僕らはすぐにでもそこへ行くことができるんです。というわけで、僕は毎日10枚、書く。フローとの接続を維持するために。

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