痕跡と走馬灯。

ここ最近、「いつかのできごと」をぼんやりと思い出す。

「いつかのできごと」

なんというのでしょうか。走馬灯?
死ぬのかな?

ホントにそんな感じ。
もう死ぬのかな?そんな感じの、やつです。

死にたくないな。

当たり前だけど。死にたくない。
だけど死ぬのかもしれないなぁ。
ここ数年、これは死ぬようなことかもしれないなという想いを抱えて生きているので見るのかもしれません、走馬灯。

主に幼稚園くらいの時のこと。今は亡き若かりし頃の母が見えます。夢の中のように、ほの暗い。
後は小学生の時のこと。田舎に住んでいたので、田舎にいます(当然のごとく)。
そして最近は、あっ、この気持ちあの時の気持ちだ、みたいな、感情の既視感。既視感?いや、走馬灯。
目の前に落ちてくるように、あの時の自分が顔を出す。
今の自分と同時進行に過去の自分が存在しているようで、なんというか、あれでしょうか。

インターステラー。

ちょうど今交差しているのかもしれない…。
やばい、それはワクワクするな…。
あの時すれ違ったアレは、実は自分。みたいな。みたいな!!!!時々聞くでしょうが、そういう話し。
……ってまぁ、すれ違ってないけど。全部脳内に降ってくる走馬灯だけども。

私はちょっと恐ろしい程に思い出という名の記憶がなく、断片的にある記憶をどうにか数珠繋ぎにして(ところどころは異常なほど鮮明)自分の歴史を保っている。なんというか、うまく説明は出来ないのだけど、ひとつの出来事をひとかたまりにして記憶しておけない。まぁそれで全然問題なく生きてきたのでそんなことはどうでもいいのだけど、時折その記憶の断片に、これは夢で見たやつだなっていう、夢の記憶が紛れ込む。見たことあるイメージだけどそんなとこ行った記憶はないから夢で見たに違いない。みたいなね。

ホントに???

ねぇそれほんとに夢?
ていうかむしろ、その他の記憶は現実??

( ゚д゚)ハッ!

自己の崩壊。
何がホントで何がまぼろし?
私は子供の頃転校を繰り返していたので、思い出話しというものをしたことが無い。
そのせい!そのせいなの!!記憶は幾度も反芻しながら定着していくものだからぁぁぁぁ。(そんな説明を、あまりに何も覚えていない私に驚く周りの人に何度も説明した。だいたいは、なるほどね。と一定の理解を得られます。ちなみにその反動なのか、大人になってからのことは怖いくらいに色々覚えています。)

人の記憶ほど曖昧なものはないですね。
脳みそは宇宙。伸びたり縮んだり飲み込んだり。

つまり何の話かと言うと、大昔から人が日記なるものをつけた理由。
これです。
時代は進化してSNS。
承認欲求もあるでしょうが、残したいんでしょう、みんな。自分の足跡。痕跡。私は残したい。

つまり、そういうわけなので、誰かと自分の記憶を共有できるとなんとなく嬉しい、そんな訳なので、しばしお付き合いいただけますでしょうか。

ハロー令和。
#令和

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