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精神障害、家庭の不和、子供達について


蘇った記憶

最近来た返信にあった言葉に「人生を棒に降ってしまう」という一文があり、思い出したことがあるので、書こうと思いました。

場面(選択性)緘黙

幼稚園入園時、先生から「お名前は?」と聞かれ無言。この時から小五までの長い間、幼稚園や小学校で一言も話すことができなくなりました。
家庭とその近所では喋れるし、活発で多くの友達と外で遊んでいたのに、幼稚園や小学校では挨拶も自分の名前を言うことも返事をすることも一言も話せない、声を出せない。その頃児童相談所のようなところへ親に連れて行かれました。
一言も話せないというのは不便なもので、びっくりされるだろうけどそれでもいい、機会があったらもう喋ろうと腹を括るようになりました。小五の時担任の先生が何かの(忘れた、思い出せない)申し込みを声を出して言ったら受け付けます、と言うのでこの時から話すようになった。
自分が実際にそういう体験をしたので、子供たちを育てる時は幼稚園の入園時に気をつけていて、無事幼稚園でも小学校でもそれをクリアした時、実家の母に「入園の時お名前は?って聞かれた時、ちゃんと声を出して名前が言えたよ」「幼稚園でも小学校でもちゃんと喋ってるよ」「私より普通の子に近いよ」と報告したものです。
しかし五年生で話せるようになって、これで万事解決とはならず、新しい別の症状に悩まされるようになりました。

統合失調症(破瓜型)

中学生くらいから私自身は気が付かなかったけど、母や学校の友人などからたまに「何がおかしくて笑ったのか?」などと言われるようになりました。高校生の時も学校で同級生などから言われて、どうやら自分は一人で笑っていたらしいと、気付くようになりました。
その他にも白昼夢に浸る、被害妄想が強い、独り言を言う、学業成績の低下、登校拒否をする、外に出て働くのが難しいなどの症状が出てきました。
破瓜病とか精神分裂病ともいうその病気は実に気味の悪いもので、人に知られると恥ずかしいものや気まずいものがある。
思えばその時点で早めに病院で治療していれば良くなったのかなと思います。しかしそれは性格的なことが原因だと思っていたり、一応家事や仕事や日常生活はこなせるということもあり、正式な治療をしませんでした。昔に比べると軽減したとはいえ完治ではなく、今でもその名残りがあります。

父と正反対の育て方

学校だけが苦しいならまだいいが、家に帰っても地獄でした。
父は大声で怒鳴り散らしたり、批判、注意、非難、否定、欠点をあげつらう、叱りつけるなどということが多かったので、私はそれが嫌でよく自分の部屋に避難していました。
子供たちが乳幼児期の時に虐待のようなことをした為、私は実家にあまり帰らなくなり、父と距離を置くようにしました。
子供たちに対しても大声で怒鳴って長女は泣き叫ぶ、次女の足首を掴んで放り投げ、次女は机に頭をぶつけて猛烈に泣く。そういうことが二、三度あった(が、子供たちは小さ過ぎて当時の記憶がないみたいです)ので、子供たちが父と出会わないよう、親戚の通夜や葬式の時など「挨拶だけしたら向こうに行くよ。(じいちゃんに)近づいたらいけんよ」と言って離れた場所に子供たちを誘導し、盆正月に実家に泊まったら、別の部屋に連れていく。
大きくなってからもたとえ自分と好みや趣味、価値観が違っても決して否定しない、友達作りが上手くできなくても怒らない、優しく育てる、居心地のいい家庭を作る、本人の好きなようにさせる、笑顔で楽しく生きられるように心がける。甘やかしているように見られることもあったけど、私よりずっとまともで普通の子に育ちました。
それに付け加え姉妹仲がいい、従姉妹とも仲がいい、癒されるペットが居た、義父母、夫、実母、学校の先生方など多くの人たちの支えもあった。
そのせいなのか長女はアスペルガー、次女はADHD(注意欠陥障害)っぽくはあるけど、何事も自分より症状が見られませんでした。
私と違って場面緘黙がない、統合失調症がない、二次障害(睡眠障害やフラッシュバック)がない。
この他、私の場合愚痴をこぼしたり弱音を吐いていると思われるほど、話す方でも書く方でもネガティブで暗い言葉が出てくるのに、子供たちは楽しいお喋りが多くてそういう言葉がほとんど出て来ない。
私はよく言えば重みがあって深みがあり、軽薄でないが、子供たちは軽快な感じがする。
環境や時代、生まれつきのタイプの違いもあったとは思うけど、父が私にしてきたことと逆の子育てをしてきて自分との違いや差を感じます。

回避型人格障害

パ-ソナリティ(人格)障害というものがあり、自分に一番当てはまるのが、スキゾタイパル、シゾイド、回避型です。
リアルでもネットでも、私は人の批判や確執を避けるところがありました。
大抵の場合、私の為を思っているからこそ苦言を呈している、誹謗中傷ではなく正当な批判であるというのが真相だとは思います。しかしそうであっても批判されることを避けてしまう。
批判や喧嘩、対立を避けようと思うから自分の考えや本音を言わない。ついうっかりポロッと失言して叩かれるのを防ぐ為に黙っている。嫌な意見が来る前に無難な言葉になるように工夫する。人から何か言われても気にしないという図太さがない。ちょっとでも反論異論めいた感じがすると気にする。そもそも私のことなど皆注目してないと思うが、自意識過剰である。SNSに向いてない。

人生を棒に振るという言葉で思いつくのは、一つは子供の頃から暗黒時代だった地獄のような日々でした。大人になってもそこが劇的に、根本的に変わるということがなく昔よりマシになった、という程度です。その頃の苦しみに比べたら詩作の悩みなど軽いもので、昔の方がもっとしんどかったはずなのに、返信やエアリプでは心配そうな反応をされている。あんな記事や呟きなどしなきゃ良かった、失敗だったかな、と思いました。          













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