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第三詩集について

1.フリーの電子書籍

これまで一冊の形にまとめるというと出版しか知りませんでした。それでも昨年の公募で受賞や最終選考など結果が良かったら、出版販売にしていたと思います。結果が悪かったこともあり、あれから色々考えネットで調べてSNS公開用の電子書籍が作れることに気付き、そちらにしようと思いました。   noteでは有料記事にできるのでそこも考えていました。せっかくこれだけのものを制作したのに、趣味で無料というのももったいない感じがします。
しかしこれまで有料販売にしてきて、経済的に得をしたことがありませんでした。
第一詩集の紙版に至っては背表紙(これだけで3万円)
修正申請(売れてない人の場合5千円)など何万円と自分が払い、印税も売れてない人の場合売り上げ冊数が達しないと申請できないので未だにもらったことがなく、親戚から出版祝いで○万円もらってそれでやっと元がとれました。
電子書籍の方も何円か何十円かの小銭がたまに入ったのみ。
まともな金額をもらったことがなく、有料にしてもしなくてもほとんど変わらないようなものでした。
また、紙の本を作るのは難しく、最初にノスプリに入稿してAmazon審査で不合格。思えばこの時電子書籍の方にしていたら、合格だったかもしれない。ムゲンブックスでできたものの、誤字脱字の修正を3,4回やった後、規定に合わなくなり、KDPの方で未出版の可能性ありと出るようになりました。第二詩集も紙版を作ろうとして何度やってもできないので、電子書籍のみにしました。書式設定や表紙デ-タでできませんでした。もしこの時紙版を作るのに成功していれば、第三詩集も紙と電子の両方を作りたいということで、有料にしていたかもしれません。
また第一詩集の場合本来なら数冊になるところを1冊にしているので、3,4冊くらいに分割するか自選集にする考えもあります。本当にそうするかどうかは分かりませんが、計画としてはあります。

2. 章、構成、本文、写真などについて

大抵シリーズで作ることが多いけど、今回は最新作2の途中までは一つ一つ自由に作っていました。後の方で惑星シリーズを思いついたので、25~30の6篇は1つの章にすることで決定。が、それまでの24篇はどう分けるか?第一章24篇 第二章6篇というのもアンバランスなので、最初は5章くらいに分けてみたり色々やった後、結局12篇ずつ半分に分けて3章にしました。
どこがそれほど違うというほどでもないけど、第一章は女神なのでよりピュアでソフトな方、第二章は魔女なのでよりダ-クでハ-ドな方で分けました。
章タイトルは女神 魔女 女王だけど、挿入写真はオス猫です。去勢したうちのペットでレオといいます。写真と章タイトルの関連の意味は特にないです。
第一詩集の時から章タイトルの他に、よく1行詩を添えていたので、それぞれの章とプロローグ エピローグに短文を添えてみました。
ちなみに一番最後の詩は、色々なハラスメントについて調べててその中に笑顔ハラスメント、ポジティブハラスメントというのを見つけたことをテ-マにしました。私が若い頃、暗いとか明るい、ネアカ ネクラなどという言葉が流行ってて、その他何かといえば「笑顔」「笑顔」。「笑顔」と「明るさ」と「元気」が求められ、愚痴も言わず弱音を吐かないことが良しとされていた。しかしエガハラ、ポジハラ、モラハラなど色々なハラスメントを知ってそれについて書きたいと思いました。

3.作風

これまで一番結果が良かったのは入選、次に最終選考ですが、大抵落選が多く佳作や優秀賞のような大きなものはもらったことがありません。この度、第三詩集になった作品中の3篇が1次止まりでした。
一つ気がついたのは、現代詩の本で女性詩、女性でなければ書けない詩、台所から生まれる詩みたいな言葉を見かけたことがあるということです。
憶測ですが、もしかして審査員の方は応募者の名前と性別から作品を判断したり評価していないか、ということです。私にとってはよく当てはまる問題だったからです。若い頃に比べればだいぶ普通になったとは思うけど、昔から男勝りで子供時代はプロレスなどの格闘技観戦、少年漫画を読む、思春期からHR/HM(サウンドや曲調などとても男っぽい音楽ジャンルです)を聴いていて、中高年になった今でもその名残りが残っているところがあります。
性格も自我が強く、集団や団体が苦手で単独的。無口で無愛想で気が利かず、現実離れしていて空想的で抽象的。衣食住などの生活より文化的なことを好む。活字ばかりの難しい文章が好きで頭でよくものを考える(人からよく考えすぎと言われていた)。
私は現代詩の難解で知的な感じのする言葉や文章、現実を超える比喩表現などに自分は向いていると思って選んだんだけど、判断違いだったのか、性別不詳のペンネームにすべきだったか、と思っていたものです。
抽象的で観念的で硬い感じの作風は良くないのか知りませんが、これが私の地の性格なので変えるのは困難です。そういったこととは別のところが問題なのかもしれないし、色々な多様な応募者がいることを前提に判断してもダメということなのか、性別や性格など何も関係なくて評価されたのか、その辺りがはっきり分かりません。
しかし創作や制作の喜びや楽しさという充実感があり、かけがえのない大切なものとして自分の作品への愛情があり、これからもこの調子でずっと作り続けたい、と思っています。
ただ、現代詩のことを知った時、これは花とか星とか綺麗なものだけを書くような世界ではないなということはよく分かったので、そこは対処できていると思います。
第一詩集の時からそうなんだけど、臓器とか人体について書くのが大好きです。
また普通の人は動物のことを書くとしたら犬猫うさぎのような可愛い動物を書くのではないかと思いますが、私はその他に黒豹 雪豹 龍 爬虫類(第二詩集の時は虎)なども使っています。象徴や文学的なイメージで使ってて、実際の体験に基づいて動物や生物を書くことはなかったです。

4.SNS公開

作品を作るとなると投稿、出版となると宣伝ということでSNSを使うことになります。
アメ-バブログをやめてしばらくして、Twitterを始めました。最初の頃は良かったけど半年くらいしてから批判的なDM、それからまた3ヶ月後くらいに多分私宛と思われる悪口や批判をタイムラインで見つけてしまいました。ブロックやミュ-ト、フォロー外しでなんとかしのいだけど、その後も二、三度トラブルがありついにやめることにしました。
何を言われても他人からどう思われても気にしないとかすぐ忘れるという性格ならいいんだけど、私はその正反対で繊細で気にする性格でいつまでも忘れないし、復讐心も強い。
それがなくても自分を表に出すのが難しかったり、フォロワーや読者とのやり取りやコミユニケーションを取ることが苦手なこともあり、発信するのが億劫になりました。
詳しく話すと長くなるので略しますが、要するに色々あって投稿するのが怖い、他人の反応が怖い、いいねやスキをどの程度やってどの程度返したらいいのか迷ったり、必要以外でアプリを開けなくなりました。
そこで非公開の鍵アカウントを作ったり、他人とかかわらなくてすむ(超内向型人間にはそれがとてもいい)SNS、例えばilkaとかブログなどをよく探したりしていたものです。
Xで「作者の人格を知りたいとは思わない。純粋に作品を楽しみたいから」というエアリプ(私宛か?)を見かけたことがあるけど、私は一から十まで詩だけに特化した人間ではなく、本来は複数のジャンルを追求するタイプです。そもそも私は心理学的な言葉やテ-マで書くことが多いし、自分の人格を象徴的で詩的な表現にして書いたりしています。
また、本当は詩垢ではなく、他のジャンルで投稿する方が話題も文章も量が多いと思うんだけど、そちらは鍵アカウントの非公開ブログの方で主にやっています。しかし他のジャンルは決して詩と無関係ではなく、詩の題材として作品の中に出てくることも多いです。









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