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読書が義務から趣味に変わる時

noterのみなさまは読書家の方々が多いですね。
子供の頃から習慣化していたのでしょうか?
『人生論ノート』で有名な哲学者三木清は著書『読書と人生』の中で『中学生までに読書の習慣が身につかなかった者は生涯読書をすることはないだろう』と言いました。

しかし、私はこの意見には異議申し立てをいたします。
私は35歳から読書の習慣が身につきました。

何故、読書をしなくてはならないのかは、誰もが子供の頃から両親や学校の先生から耳が痛くなるほど言われたから、言わば義務の観念をおしつけられたからではないでしょうか。

しかし、言っている両親や先生が読書をする姿を見ることがなかったのです。
これでは、『読書をしなさい』という言葉に説得力がありませんね。

おそらく、その言葉の裏側には『自分たちは読書が身につかなかったから、おまえたちには読書が習慣になってほしい』という願望があったのだと思います。

それと、読書をたくさんしていたら今と違う現実があったかもしれない、と思っていたかもしれません。
現実に満足していない証拠ですね。

何故、そう思うのかは世の中の成功者の大半が超読書家だからです。

お笑い芸人も例外ではありませんね。大勢のお客さんの前で臆することなく、面白いことを話すことができるのは、脳の引き出しに言葉がたくさんつまっているからです。ビートたけしさんも超読書家と聞きます。

さて、何故読書をした方がいいのかは、一般的には『幅広い知識が身につくから』ですね。

精神分析学者のフロイトは、読書の目的は上記につけくわえて、
『得た知識を他人に自慢するためだ』と言っています。

自慢と言うと、上から目線で嫌な印象を抱いてしまいますね。

私は幅広い知識を得ることで、交流の場が増えることだと思っています。
簡単に言うと、友達ができやすいと思います。

人間関係はギブアンドテイクが原則です。良い情報、面白い話をしてくれる人には必然的に人気が集まります。

だから、私たちは面白い小説家の新作はお金を出すことを厭わず、購入しますね。

読書をする目的は話しましたが、主題の『義務から趣味』について述べていきたいと思います。

私は学生の頃は、エッセイや自己啓発本の類いはよく読みましたが、何故か読んだ内容をほとんど覚えていません。

その理由を考えると、主題のように義務的に読んでいたことと、もう1つあります。

単純に『面白くなかったから』だと思います。
読んでいる本に感情をゆさぶらせられる構成や文章がなければ、記憶に残らないのです。

私が35歳から毎日読書をするきっかけは、トラックで配達に行って荷卸先の物流センターでの順番待ちが、3時間から下手をすると、5時間ほどあったのです。

だから最初は退屈しのぎのために、1冊の文庫本をバックにしのばせて配達に行っていました。

その時に読んでいたのは、ほぼ小説です。司馬遼太郎さんや東野圭吾さんなどの超有名小説家の作品から、読書入門
しました。

上記2人を読み始めたのは、当然ながら超有名人だからですが、それだけではありません。

とにかく読みやすくテンポがいいことと、主人公に感情移入することに苦労しないことから、読後面白かったという満足感と、得るものがあったという達成感。そして、何より感情をゆさぶらせながら、読ませられたので、しっかりと記憶に定着しているのです。

小説が記憶に残りやすいのは、感情の動向と共に時系列が整っているからだとも思います。

でも、やはり『好きこそ物の上手なれ』です。
面白いと思った時に、読書は義務から趣味に変換された時だと思います。

今年のお正月にサマセット・モームの『月と六ペンス』という小説を読みました。かなり、主人公に感情移入できたので、イッキ読みしました。

あまりに面白かったので、サマセット・モームの『読書案内』という著書を買い、読んでいると彼の読書法が克明に書かれていました。

『読書をする時の精神状態はいつも同じとは限らない。だから、私は1冊を読み終えてから次の本を読むのではなく、その時に読みたい本を読むのだ』

基本的に読書は自由です。
芥川賞作家の保坂和志さんは著書『書きあぐねいている人のための小説入門』の中でこう言っています。

『私は400ページほどある小説を350ページまで読んだとしても、面白くないと思えば、そこで読むのをやめてしまう』

小説の本質を語った意見だと思います。

私は基本的には1度読み始めた小説は読了しなければスッキリしないから最後まで読みますが、やはり面白くない小説は記憶に残っていません。
下手をするとタイトルすらわすれています。

そして、読書が習慣になって気づいたことですが、発言力、コミュ力が格段に上がったと実感できたからです。

会社でも、スジの通らないことには、上司にも食ってかかっていきます。

だから『半沢直樹』にはかなり共感しました。

読書というインプットする行為は、己を精神的に強くしてくれます。その理由は客観的な合理性をもったアウトプットができることから、多くの仲間を引きつけられます。

自分を高めたいという意識さえあれば、必然的に読書は義務から趣味に変わるとも思います。

つまり、『心から面白いと思った時』と『自分を高めたいと思った時』に義務から趣味に変わると思います。









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