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村上春樹の『カンガルー日和』を小学生の娘が朗読したら


村上春樹ファン歴35年


若い頃から村上春樹の小説を定期的に愛読しています。大ベストセラー『ノルウェイの森』をはじめ『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』など好きな作品が多数あります。かつては、新作が出る度に書店に走り、村上春樹の関連本を見かけると、手に入れずにはいられない、ちょっとした「ハルキスト」でした。しかしながら、近年は、老眼も進行し、集中して本を読むことが億劫になり、『騎士団長殺し』あたりから、読了していない大作が順番待ちをしております。

短編の面白さを再発見

そんな私ですが、昨年末「村上春樹は短編こそ面白い」と力説する某ネット記事を読んで、なるほど!と思いました。ふと、自分の本棚に目をやると、ほとんどの短編が収集済であることに気づきました。そこで、棚の奥から年季の入った文庫本の短編を引っ張り出して、再読することに。老眼鏡片手でも、短編ならサクサク読める。あ~この感じ!やっぱり面白いな~と、この年末年始は、村上ワールドにどっぷり浸っていた次第です。中でも、『カンガルー日和』は、村上春樹初心者にもおすすめの短編集。後の作品につながる様々なエッセンスがおもちゃ箱的に詰め込まれ、古参のハルキストさんも楽しめます。個人的には『4月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うことについて』や『図書館奇譚』なんかが好きですね。

突然はじまった朗読会

そして、表題の作品でもある『カンガルー日和』。これは「月曜日の平日の朝に動物園へカンガルーの赤ちゃんを見に出かけるカップル」の何の変哲もない話。どちらかと言うと、これまで特別な感想もなく、さっと読み飛ばしていた部類の作品でした。この作品を、なぜか、先日の夜、小学生3年の娘が何を思ったのか、リビングの机の上に置かれた文庫本を手に取り、朗読し始めました。

母)上手に読むね~。それ短いお話だから最後まで読んでみてよ。
娘)いいよ!読んであげる。

そこから、即席の「村上春樹 朗読会」が始まりました。子供特有の鈴が鳴るような声でリズム良く読まれる『カンガルー日和』は、作品の持つ世界観となぜか妙に合い、心地よく沁み込んでいきます。漢字にルビは振られてなかったものの、文章一つ一つが短いので、子供も難なく読み上げることができます。よく村上作品は、文章のリズム感を大切にしていると言われますが、朗読と意外と相性がいいのかなと思いました。

父親カンガルーになりきってみる

情景を思い浮かべながら、朗読を楽しく聴いていると、うん?こんな話だったっけ?と、まるで初めて読む話のような新鮮な驚きがありました。

我々はとりあえず母親カンガルーを探した。父親カンガルーの方はすぐにわかった。いちばん巨大で、いちばん物静かなのが父親カンガルーだ。彼は才能が枯れ尽きてしまった作曲家のような顔つきで餌箱の中の緑の葉をじっと眺めている。

村上春樹『カンガルー日和』

(母)ねえ、ちょっと待って。
  「才能が枯れ尽きてしまった作曲家のような
  顔つき」のカンガルーってどんなやねん!
(娘)確かに!こんな感じかな?
  (父親カンガルーになりきってみる娘)

そして、物語の終盤では、このカップルが立ち去る際、もう一度この父親カンガルーについて触れられています。

我々が立ち去る時にも父親カンガルーはまだ餌箱の中に失われた音符を探し求めていた。

村上春樹『カンガルー日和』

「失われた音符」って!もうここまでくると、母娘ともども、本来、動物園に来る目的だったカンガルーの赤ちゃんよりも、父親カンガルーの方に一体何が起こったのか、気になって仕方がありませんでした!

朗読で独特の比喩表現とリズムを味わう

村上作品と言えば、比喩表現の豊かさがよく言われますが、私自身も好きな比喩がたくさんあります。ぱっと思い浮かぶのは『ノルウェイの森』の中で「僕」が「ミドリ」に「春の熊くらい好き」と宣う愛の告白や、『ダンス・ダンス・ダンス』の中で「僕」が自分の仕事について「文化的雪かき」とか言っちゃう脱帽のワードセンスとか…。他にも、まだまだ、まだ自分が気づいていない面白い比喩があるかも。これを機に、さらに本棚を捜索して、短編を読み直してみたいと思います。そして、朗読は、村上作品独特のリズムを味わうの最適な手法かと。朗読をまた娘にお願いするのも大変そうなので、最近CMで気になっている「オーディブル(Amazonオーディオブック)」を試してみるのも一つかもしれません。なぜか、このCM、村上作品の朗読を聞きながら、散歩とかの日常生活を送る人が出てくるんですよね。これも、村上春樹を耳から聴きたいという人の需要をある一定数見込んでのことかもしれないな~とか思いました。


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