Spiritual Unity
歩いて3分とかからない近くの神社に、日が落ちたあと(可能な限り)通っている。
本殿と拝殿にそれぞれ参拝し、二礼二拍手一礼したあと「本日もありがとうございました」と感謝を口にする。
神さまには、住所氏名をしっかり伝えた方がいいそうだ。
顔見知りになるほど、「せっかくアイツも挨拶にくるんだから」と、融通を利かせてくれるようになるらしい。
なんだか、選挙のときだけ「神さま」扱いされる有権者と政治家の関係みたいだが、そこは日本の神さま、もちつもたれつお互い様の関係を好まれるのだろう。
賽銭は入れない。気は心と、1円・5円・10円を入れたとして、銀行に入金する際に小銭が多いと手数料の方がはるかにかかってしまうのを、いぜん総代を経験して知っているからだ。「投資」なしの参拝に果たしてリターンはあるのか、興味深くもある。
地元の人もほとんど足を踏み入れない神社を僕が独占したら、何か変化が起きるだろうかと、昨年(2023年)夏から通い始めた。
最初は昼か夕方に行っていたが、ご近所さんと顔を合わせるたび「今日はどちらへ?」「ええ、神社まで参拝に」と答えるのが、なぜか意地汚く願掛けに通っていると思われはしないかと、町田康のエッセイみたいな気分になって気が引けるのだった。
そこで今は通りに人けが無くなる、夜8時以降に移動している。まるで気分は、背徳の参拝である。
自分が事務局長を務めるプロジェクトが同じころ動き出し、テーマは地域の活性化だから、隗より始めよとの気持ちもある。
かつて神社に地元民が集い、節目々々を祝い祷った古き佳き時代に、少しずつでも揺り戻したい思いもある。
課題は、二礼二拍手一礼の儀式を執り行う際の、心の在り方である。最初は雑念ばかりが頭の中を占め、まったく形ばかりの所作に終始した。
たぶん「宝くじで1億円当たりますように」とか、具体的な願い事があれば集中できるのかもしれんが、そもそもくじを買ってない。それとも毎日願かけし続けると、たまたま拾った券が大当たりだったとかいう展開もあるのだろうか。
「今の政権が1日も早く終わりますように」とか、「隣のあそことあそことあそこの国が崩壊しますように」とか、神さまにお願いするのも躊躇われる。
結局、顔見知りになって頂くことを、まずは目標に参拝している。その際、せっかく神さまに対峙するんだから、もう少し心をクリアに出来んもんかと思い、その思いがそのまま雑念になってしまうのだから困ったもんである。
最近、ようやく気付いた。
これだけ熱心に通ってはいても、自分は神さまを実在として捉えていないのである。「いる」という実感じゃなくて、「ある」という認識の違いみたいなもんか。
そこでひとまず、神さまがそこに「いる」と定義したうえ、意識の上で擬人化された神さまにご挨拶をしてみた。
これだと結構、うまくいく。精神統一に、近づいた気がする。
こんなんでいいのかどうかわからないまま、今晩も僕オリジナルの神さまにお参りするのだった。
ちなみに僕の神さまだが、どうも寂しがり屋さんな気がしている。
イラスト hanami AI魔術師の弟子
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