見出し画像

瀬戸際の花嫁

『瀬戸の花嫁』作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃。

作詞者は瀬戸内海の島々を訪れたことがなく、かつて船に乗って四国へ向かう際の夕焼けと段々畑の記憶を頼りに、この詞をつむいだ。

「私、お嫁になんか行きません。ずっと歌を歌い続けます」
当時20歳だった小柳ルミ子が思わず口にした言葉に事務所側が反応し、「だったら歌の中でお嫁に出しちゃおう」といういたずら心が働いて、制作が進められたそうだ。

歌詞は当初、「瀬戸の夕焼け」と「峠の花嫁」という別々の作品として起案されていたという。作詞の山上と作曲の平尾が大した打ち合わせもせず、瀬戸内海というテーマだけで別々に歌詞と曲を作った。
いざ作品を付き合わせてみると、「瀬戸内海に抱いているイメージがほぼ一緒だった(平尾)」。

瀬戸は日暮れて 夕波小波
あなたの島へ お嫁にゆくの

結婚という概念が個人と個人の結びつきに限られるなら、「あなたの”もと”へ」とでもするのが妥当だろう。じっさい憲法24条1項には、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。

対して「あなたの”島”へ」には、自分が暮らした共同体から、異なる共同体に移行する意味が含まれてくる。それを花嫁は幸福と捉え、未来に一点のかげりもない希望を抱いているのがわかる。
むしろ周りの方が「若いと誰もが 心配するけれど」、彼女にとっては「愛があるから 大丈夫なの」だ。
ここに作詞家の、戦前の大家族時代へのノスタルジーが感じ取れる。

そもそも現代のフェミニズム(社会・経済・政治などあらゆる側面において女性が権利を獲得し、自由に選択できる社会を目指すための思想と、それに伴う動き)に照らしてみれば、「お嫁にゆく」という表現自体が女性蔑視であり、何も知らない花嫁は嫁ぎ先の”家”の奴隷になっていくイメージしか湧かないのではないか。

幼い弟 行くなと泣いた

モデルである20歳の小柳ルミ子が「幼い弟」というのだから、相当な年齢差があるのだろう。
これも現代の基準で解釈すれば、単に花嫁と幼い弟の二人姉弟きょうだいとなってしまうところ、大家族を前提にするなら、間に何人もの兄弟が存在すると考えた方が自然になる。

ところが『瀬戸の花嫁』の時代に、大家族の家などすでに存在していない。

これからあなたと 生きてく私
瀬戸は夕焼け 明日も晴れる
二人の門出 祝っているわ

エンディングでは「二人の門出」が、堂々とうたわれる。戦後民主主義の浸透によって共同体が解体され、個人の意思こそが重要との価値基準が確立していく、端境期はざかいきの歌かも知れない。
小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』からさらに10年が経ち、失われていく戦前の日本の最後の残滓ざんしを、この歌から感じてならない。

そこで話を戻せば、S型デイサービスで『瀬戸の花嫁』を合唱するお婆ちゃん達を見ていて思うのである。
お一人お一人、いろんなことがあっただろう。すでに旦那さんを亡くされた方もいれば、僕の顔を見るたび「アンタ、どちらさんだね?」と問いかけてくる100歳近いお婆ちゃんもいる。
そのほとんどは、隣村、隣町などからわが村へと嫁いできた方々である。
彼女たちはフェミニスト言うところの、家や男につかえる奴隷の人生を送ってきたのだろうか。
とてもそうは思えない。虐げられ続けた人間が、80,90、人によって100歳を超えてまで、生きられるはずもない。むしろ充足した人生だったから今も自宅に過ごし、この場にもつどい、高齢者向けの体操をしたりおやつを食べたり、合唱したりも出来るわけだ。

田舎に暮らしていると、死滅したはずの共同体がまだまだ息づいているのがよくわかる。ただそれも、今の高齢者世代がいなくなったとき同時に消滅する瀬戸際にある。

いまnoteをやっていたら、ご近所さんが庭で採れたさやえんどうとスナップエンドウを持ってきてくれた。一昨日は他の人から、タケノコやバラのおすそ分けを頂いている。
皆さん何の見返りなしに、30歳過ぎにここに越してきた僕を、共同体の一員として扱ってくれるのだ。

お婆ちゃん達が笑顔で歌う『瀬戸の花嫁』は、時代を共有できる曲である。
年齢がバラバラであろうと、昭和のその時代を生きていれば、共有できる歌は他にもたくさんある。一つの歌が世代を超えて繋がる感覚、今後そういう歌は、存在し得るだろうか。
そしてこれはノスタルジーでなく、お金はなくてもご近所同士、何かと融通ゆうずうし合い、思いを共有し合えた時代の方が、分断された現代いまよりもはるかに暮らしやすかった。
僕がゆるやかな共同体の再興を願う、所以ゆえんである。

イラスト hanami🛸|ω・)و

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?