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牧神(パン)が目覚める

井上喜惟ひさよしという指揮者をご存じだろうか。

だいたい名前からして「喜惟」を「ひさよし」と読めというのは、相当に難がある。親が超ひねくれていたのか、徳川慶喜よしのぶみたいに漢字逆じゃね?的なネーミングが、一部の人にはウケるものなのか。

これだったら、長男が生まれるとき僕が提案して速攻で却下された「モンク」の方が、はるかに世間で通用するのではないか。
妻は学校でクラスメイトから殴られ、「なんかモンクあるのか」とさらにいじめられるのを懸念したようだが、成人してオーディオユニオンに面接など行けば、きっと即採用してもらえる最強の名前だったろうに。無念である。
そうなれば「キミがモンクくんか」と社長の目に留まり、「我が社の命運はキミの双肩にかかっている」とか期待を一身に受け、「こんなイカす名前を選んだ親父さんをぜひ我が社の顧問に」とかなっていたに違いないのに。すると顧問の立場から「社長、これからはジョージ・ルイスの時代が再来しますよ」とか助言して、「やっぱり音楽の未来はニューオリンズ・ジャズだよね」で盛り上がったろうに。しかしそういうやり取りがあったとして、オーディオユニオンの経営になんの貢献もしなかったのは間違いない。

閑話休題それはさておき

井上喜惟ひさよしのWikipediaを見ても、細かいデータは載っていない。生まれも1962年とだけあって、してみると僕と同じで、今年62歳ということか。

1979年、中学卒業と同時に渡欧。ウィーンでピアノを学び、指揮をクルト・ヴェス、セルジュ・チェリビダッケらに師事。バイロイト音楽祭ではホルスト・シュタイン、ケルン放送交響楽団等ではガリー・ベルティーニのもと研鑽を積む。レナード・バーンスタイン、小澤征爾らのアシスタントも務めた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なんかこの経歴だけみても、すげぇじゃん!ってなる。
実際すげぇ指揮者だと思うのだが、日本の音楽業界ではまるで話題にならない。こんな日本の至宝、どころか世界の至宝と呼ぶべき存在をなぜ無視するのか、全く理解できないでいる。
あんまり口惜しいので、いつか紹介したいと思っていた。影響力のない僕がいくらスゲェんだスゲェんだ騒いだところでなんの効果もないのだが、自己満足でいいので記しておく。

初めて聴いた井上喜惟ひさよしの演奏は、2003年3月5日の横浜みなとみらいホールだった。曲目は、マーラーの交響曲第3番。
入場料が(たしか)2,000円と破格値だったのは、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラがアマチュアの楽団ゆえである。客席も、オケの関係者が多いせいだろうか。演奏が始まっても落ち着きのない幼児の声が、そこかしこから響いてくる。
これからマーラー聴くぞ!なんて緊張感はまるでなく、それが妙に似合う雰囲気でもあった。

ところが冒頭8本のホルン斉奏せいそうが始まるとすぐ、何だこりゃ~!になってしまう。プロと違い、金管なんか音を外しまくりのアマチュア・オケだが、指揮者の解釈がそれを凌駕りょうがしてこちらを圧倒する。
透明度が異常に高い湖を舟のへりからのぞきこみ、底の底まで見透かしているような純度の高さを感じるのだ。舟の進行に湖面は美しく揺らぎ、軽いめまいを覚えるほどだ。

チェリビダッケがマーラーを振ったら、きっとこんな音楽になったんじゃなかろうか。
そう思ってしまうとアマオケの音も、脳内でベルリン・フィルのそれに変換され始めるのである。実際この解釈を100%に近く再生するためには、ベルリン・フィルこそが相応しい。
いずれこの人は大成し、世界のトップ・オーケストラとの共演を実現するに違いない。この時点で、確信したものである。

明日に続く。

イラスト hanami🛸|ω・)و



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