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世界にひとつだらけの花

SMAP『世界にひとつだけの花』に関しては、その歌詞の解釈をめぐって、むかしから論争があるらしい。

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね

この出だしから、すでに異論が噴出する。たとえば、
花屋に並べられた花は商品となるべく、特別な環境で育てられる。
商品としての価値を高めるため、「価値なき」雑草は駆除され、同じ花でも売り物にならないモノは間引きされ、剪定せんていされ、「競争」に勝ち残った花だけが店頭に並ぶ。
客の歓心を買って売り物になるため、花はひたすら競争させられる存在なのだ。
見てくれの悪い花、売り時を逃した花は処分される。
ある意味で、人より過酷な生存競争に置かれた花屋の商品を「きれいだね」とでる、無邪気に過ぎる歌詞が不快というものだ。

「若者の向上心のなさや現実逃避と結び付け、批判的な解釈が生まれることになった」岸本裕紀子(評論家)
「戦後の競争社会の中で、自分の存在意義を見つけられないで苦しむ人々がたくさん出た。年間に三万人もが自殺するような社会の圧迫感の中で、『オンリーワン』を大切にしたいという思いがあった」湯川れい子(音楽評論家)
「(小泉政権の)聖域なき構造改革がもたらしたのは、弱者を切り捨てる成果主義。競争社会が加速した時代だったからこそ、違和感を持つ人々の胸にすとんと落ちた」尾木直樹(教育評論家)

J-CASTニュース https://www.j-cast.com/2013/04/20173538.html?p=all  

ネットにあがった批判的な意見としては

「No1になるより自称オンリー1って逃げ道を作る事を容認してるよな」
「できない奴に、『人と同じように出来なくても、君はこの世で一人、オンリーワンな存在だよ』とか曲解し、甘やかしたのが日本衰退の原因」
「この歌は努力するものを馬鹿にしている。日々の努力なしにオリジナリティは確立されない」
「どうしても、この共産主義賛歌を好きになれない」

J-CASTニュース https://www.j-cast.com/2013/04/20173538.html?p=all

もちろん、擁護する意見も少なくない。

「なんで素直に曲を楽しめないん?」
「歌詞やらを都合よく解釈して反自民だ、護憲だとするのが間違い」
「自分に植えられている種を真剣に見つめて、きちんと水をやろう。そうすればその種が相手にもあることに気付くはず。競う相手は他人ではなく自分自身だ」(作者の槇原敬之)

J-CASTニュース https://www.j-cast.com/2013/04/20173538.html?p=all

平成以降の流行歌にうとい僕でも、2003年に大ヒットしたこの曲は、やたらと耳に入ってきた。きっと移動中のカーラジオをつければ、日常的に流れていたんだろう。
馴染みやすいメロディに心地いいアレンジ、なにより当時トップアイドルの曲である。売れないはずがない。
ジャニーズや(複数の声部が同じ旋律を同じ音程で合唱する)ユニゾンが苦手にがてな僕にはなから関心はなかったが、それでも半強制的に聴かされるうち、歌詞に相当な違和感を持つようになった。

そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

この歌の中に、何か政治的なメッセージが隠されているなどとは思わない。
むしろ作り手やこの曲を受け入れた当時の人たちが、無意識に、無批判に、個人主義を礼讃らいさんするさまが不気味だった。
「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」とは、歴史との繋がりや社会を構成する一員であることなど考えず、自分の人生をより良くしていくことだけに傾注せよとのメッセージに他ならない。
当時の横浜市長(現参議院議員)が「よくぞこの歌を作ってくれた!」と、手放しで賛辞を送っていたのが記憶に残っている。「僕はカラオケに行くと、必ずこの曲を歌うんですよ!」

共同体の利害よりも、成員一人一人の利害を重視するのが「個人主義」であるなら、 自分の利害で他人の利害を測る現代の「利己主義」まで、すでにあと一歩という状態まで迫っていたわけだ。
これはある意味、「個」が確立したうえに「全体」が成立するという欧米型の立場とは異なる。
そもそも「個」が確立しているとはとても思えない日本人が、「全体」さえも全面否定してしまったら、共同体として残るものは何もないじゃないか。

明日に続く

イラスト hanami🛸|ω・)و

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