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他人事の神さま

静岡の田舎に居を構え、30年になる。

産まれたのは東京のベッドタウン。田畑や近所の空き地がスーパーや集合住宅に変貌していく様を目の当たりにしながら、18歳までを過ごした。
水田を埋め立て新設された小学校に転入したのは、4年生になる新学期。
5年・6年生は進学の事情からか以前の小学校に残り、いらい卒業するまで僕たちが最上級生だった。1学年が5~6クラス(1クラスは50人弱)あったころの、まだ日本の人口が増えていった時代である。

神奈川の大学に通うため、親元を離れ下宿するようになった。隣が牛舎で「田舎の香水」”かぐわしく”薫る、古い学生アパートだ。
遠出した夜、駅から住まいに向かう田んぼのあぜ道を歩けば、蛙の大合唱に圧倒されたりもする。昭和50年代半ば、日本の原風景は、まだ至る所に残っていた。
何年か前に同じ場所を車で通ったら、あまりに都市化され過ぎていて、かつての下宿の場所さえ特定できずに終わる。40年前の過去は、跡形もなく消滅していたのだ。

都会が苦手である。
30歳になって長男が生まれるというとき、隣県の静岡に住もうと思いついた。
神奈川も自然豊かなところだが、当時の人間関係のもつれと、なにより半端でない慢性渋滞に辟易としていた(こちらは道が整備されたことで、今であればストレスなく、茅ヶ崎・藤沢方面へ行けるようになっている)。

なんの縁もゆかりもない土地に、最初は仕事のあてもないまま住まいを物色し始める。結局、当時の清水市(現在の静岡市清水区)に勤務先を見つけ、1年のアパート暮らしを経て、今の家に落ち着いた。

定住するにあたり、仲介した土地開発公社にくぎを刺されたのは、あなた方の住む場所は何代も続く歴史ある家が多い、そこ独自のしきたりに馴染むよう努力してもらいたいとのことだった。
昭和の高度経済成長の時代を経ても開発の手が届いていない、正真正銘の田舎に引っ越してきたわけだ。

「しきたり」の中の一つに、神社の氏子があった。
転居して間もなく、徒歩3分とかからない神社の総代会から案内があり、神社と寺の違いさえ十分な理解もないままに、僕は氏子の一員となる。
それから20数年間、年2,000円(会費とお札代)の支払いと、数年に一度回ってくる境内の清掃当番以外、まったく無関心に過ごしてきた。

神社(神道)とは日本に古来から在る「宗教」の一つであり、無神論者の自分にとっては縁のない場所である。金も労力もさほどかからないし、近隣に角が立たないお付き合い程度のつもりだった。

それが今、いつ行こうとひと気のない田舎神社への参拝が、僕の日課となっている。
「宗教」に目覚め、あるいは神さまに何事かおすがりしたくて通っているわけじゃない。
作法としての二拝二拍手一拝は行うが、頼み事は一切しない。「今日もありがとうございました」と、小さく声に出して感謝するのみである。

50歳半ばまで他人事だった神さまの立ち位置が、自分の中で変わった。
神さまとは自分が生まれ育った国、日本そのものであることを理解したのだ。

イラスト hanami AI魔術師の弟子

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