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「私的ボランティア論」

気まぐれに、note を更新してみる。

脳性麻痺(アテトーゼ型)という先天性の身体障害を抱えている私は、情報系の専門学校を卒業した20歳の頃から大学生ボランティアを募り、ガイドヘルプ(外出補助)を頼んでいた。

もともとは、専門学校を卒業して毎日両親と家にこもりきりなのも難だから……という理由で学生ボランティアを探しはじめた、というのが本当の動機だった。いわゆる作業所(今でいう就労支援施設)も両親といくつか見てまわったが、作業内容やコミュニティの雰囲気が何となく肌に合わず、体験入所すらキャンセルしてしまったのだ。

学生ボランティアとのつながりは、それ以前からあった。18歳まで通っていたリハビリテーションセンターでは将来的に社会に出るトレーニングの一環として、春休みと夏休みに数人の大学生ボランティアを募り、レジャー施設やショッピングなど、普段の生活ではなかなか行けない場所に出かける、というイベントを企画してくれた。

その時はリハビリテーションセンター側が北里大学の学生(PT・OTの卵)に募集をかけ、メンバーを集めてくれていた。

特に小中学生の間はリハビリに定期的に通っていたから、お出かけイベントはいつしか恒例になっていた。

私としては、両親の同行なしでどこかに出かける機会は皆無だったし、年上のお兄さん、お姉さんとのコミュニケーションが純粋に楽しかったから、年2回のお出かけイベントを心待ちにしていた。

当時の担当PTとしては単なるレクリエーションで終わらせず、「慣れない公道でも電動車椅子を安全に操作できるか」、「初対面の介助者とスムーズにコミュニケーションを取れるか」という点を見たかったのだろうと思う。

そうした経験があったからボランティアとのコミュニケーションには慣れていたし、成人したタイミングで自分でも介助者を集めてみようと思った。

年2回のお出かけイベントでは物足りないから、月1回などある程度定期的に、日常的な外出をサポートしてくれる学生ボランティアを募集することにした。

社会人ボランティアも視野には入れていたのだが、やはり同世代の大学生(当時は私も若かった)たちと気兼ねなく、両親のいないところでコミュニケーションが取りたい、という気持ちが強かった。

あるいは、受験さえもかなわなかった大学の雰囲気を多少なりとも感じたい、という気持ちもあったのかもしれない。

学生ボランティアを集めるため、ヘルパーとともにあちこちの学園祭をまわった。大学のボランティアサークルのブースを巡り、お手製のビラを配って、ガイドヘルプの参加者を募ったのである。

ネットやボランティア広報誌に募集を載せる、という選択肢もあったのだが、学園祭なら一度にたくさんの学生と知り合えるし、顔の見えるコミュニケーションのほうがメッセージを伝えやすいと思った。

ボランティアサークルのある都内近郊の大学はほとんど回ったから、かなりの大学とコンタクトを取ったと思う。

地道な広報活動(?)が実ったのか、いくつかの大学から好意的な反応があり、週末のガイドヘルプを依頼することができた。

ガイドヘルプといっても家から徒歩20分の図書館に行き、駅前のファミレスで夕方まで雑談して帰ってくる、という流れだったが、「親のいない時間ができる」というだけで私は満足だった。

もっとも、私の一方的な雑談に付き合わされる学生ボランティアと、ドリンクバーセットだけで5時間近く粘られるファミレスにとってはいささか迷惑だったかもしれないが……。

その後、ボランティアサークルの入れ替わりはあったものの、大学生ボランティアによるガイドヘルプは現在まで続いている。ボランティアに対する価値観が変わりつつある中でガイドヘルプが16年も続いているのは、一にも二にも関わってくれた学生ボランティアのおかげである。

現在は私もシェアハウスに入居し、ガイドヘルプよりも居室でのレクリエーションがメインになった。10代・20代の学生ボランティアと張り合って、流行りのゲームで対戦したり、他愛のない雑談で盛り上がったりできる時間はたまらなく貴重で、かけがえのない楽しみである。

これからも体力が続く限り、そして学生ボランティアから「あいつはオワコンだ」と言われない限り、ボランティアサークルとのつながりを続けたいと思う。

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