見出し画像

介護生活の転機 part1

トイレで何が?


「お母様がお家のトイレで倒れられていて」
デイサービスの、お迎えの介護士さんからの電話を受けたのは、仕事中だった。
「今、救急車を呼んでいます」
頭の中が真っ白になった。
倒れた?
「すぐ帰ります。5分で着きます」
慌てて電話を切った。
仕事場から家まで、自転車で5分ほど。
早退させてもらい、家に向かった。
心疾患。
脳疾患。
のようなものを想像した。
朝は特に異常はなかった。
何が起きたのだろう。
もしやこのまま…。

家の前に救急車が止まっている。
玄関は開いたまま。
慌てて玄関を上がって、思わず息を呑んだ。
クッションや、朝、母が着ていたセーターなどが散らかっている。
心臓がバクバクし始めた。
母はどこに。
「こっちです」
振り返ると、デイサービスの介護士さんが、救急車から顔を出した。
母はすでに、救急車の中だった。
家の中に入ってきた救急隊員が、床に落ちている母のセーターを指差して、
肩を出すために、切りました。
ちょっと散らかっています。すみません。
と言った。
肩?
戸締りをきちんとして下さい。
救急隊員の促す通りに戸締りをして、救急車に乗り込んだ。
介護士さんは、自分の車で病院まで行くと言って、救急車を降りた。
母は、右肩を剥き出しにして目を閉じていた。
右肩が、ぽっこりと盛り上がっている。
救急隊員が、
肩を脱臼していると思います。N病院へ向かいます。
と告げた。
脱臼?

母は目を閉じたままだが、意識はあるようだ。
肩が痛々しく盛り上がっている以外の、異常は見た目ではわからない。
私はまだ混乱したままで、考えがまとまらない。
どうしたの。
母は、頭を横に振っただけだった。

病院について、母は処置室に運ばれた。
介護士さんも到着し、事の経緯を説明してくれた。
「いつもの時間、12時40分頃にお迎えに伺ったんですけど、お返事がなくて」
介護士さんは、近くの、もう1人の利用者さんを迎えに行き、施設に連れて行った後、また戻ったのだと言う。
声をかけて、ドアをノックしたが、やはり返事がない。
家の横側の窓から覗いたり(その時は古い借家住まい)、ドアをまたノックしたりしていると、微かに
「助けて」
と言う声が、聞こえてきたのだそうだ。
あ、いるんだと思ったらしいが、ドアが開かない。
いつも母は、玄関前の廊下で、椅子に座ってお迎えを待っている。
玄関横に小窓があって、そこからお迎えの介護士さんに鍵を渡して、玄関を開けてもらう手筈になっていた。
玄関は狭く段差があって、母1人ではドアまで行くのは危険なためだ。
杖と手すりで、室内は何とか動けてはいたが、段差などを降りるのは、無理だった。
介護士さんは、すぐ裏に大家さんがいることを思い出し、大家さんが持っていた合鍵で家に入ったところ、トイレで倒れている母を発見したのだそうだ。
便器と壁の30センチほどの間に、うつ伏せの形で、すっぽり挟まってしまっていたらしい。右手で便器の手洗い付きタンクの上部を握っていたとのことだ。
介護士さんと大家さん夫婦で、母を起こそうと、クッションなどで身体を固定したりしてくれたらしく、玄関先の散らかり具合は合点がいった。

後で母に聞いたところ、いわゆる脳貧血を起こしたようで、眩暈がしてふらついたそうだ。
倒れ込む時、とっさにタンクを掴んだらしい。掴まなかったら、便器か壁かに頭か顔をぶつけただろう。
起き上がろうとしたが、膝が悪くて曲がらないので、足が滑って立ち上がれなかったのだと言う。
推測ではあるが、2時間くらいその姿勢でいたようで、それで脱臼まで至ったらしい。

運ばれた病院で、関節をあっさり元に戻してもらい、何日か用心して下さいと言われただけで帰された。
念の為、かかりつけの病院にお願いして、リハビリと検査のため、何日か入院させてもらった。
他に異常もなく、脱臼の後遺症もなく、騒動は落着とはなった。

が、やはり1人で長時間、家に置いておくのは
もう限界ギリギリかと思われた。
大事に至らなかったのは、運が良かったのだ。

その頃は、午後からの半日のデイサービスに週2回、入浴目的の8時間のデイサービスに週1回通っていたが、大幅に見直さざるを得なかった。
母も痛い目にあって、少し危機感を覚えたのか、素直に聞き入れてくれた。

アクシデントと呼んでよいのか、起こるべくして起きた事故だったか。
兎にも角にも、その騒動は、転機だった。
それ以降、介護生活は後半に入っていく。
本格的な介護はそこからだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?