見出し画像

お金を払うということ。

最近「お金を払う。」ということについての考え方が、少し変わってきたように思う。

昔は、とにかく「欲しいものをできるだけ安く買いたい。」と思っていて、似たような製品だったら、安い方を買って満足していた。

しかしだんだんと、似たような製品でもよく見ると素材が違っていたり、操作したときの感じがなんか気持ち悪かったり、動きがスムーズでなかったりと、微妙なクオリティの差があるということがわかってきた。

それは年齢を重ねて、目が肥えて安い商品にあまり目がいかなくなったのもあるし、長い目で見ると、高いものの方が結局コスパがいいという経験則もあるかもしれない。

値段が高いものにはそれだけの理由があり、長く使えば使うほど、味が出たり、着心地の良さが増したりするのがわかってくると、もう安いものにもどれなくなったりする。

商品が安いということは「薄利多売」による大量生産・大量消費の社会を生み出し、ごみ問題はもちろん価格破壊や人件費問題にもつながる。
自分だけの「安い=得した」だけでは済まないということもわかってきた。

今は、自分が納得いく商品を適正な価格で購入したいと思っている。

何より「きちんと作られた、お気に入りのもの」に囲まれた生活は、自分自身がすごく気持ちがいい。

お気に入りのコップ、お気に入りのキッチン用品、お気に入りの置物、お気に入りの家具、お気に入りの洋服。
目に入るすべてのものが大好きだと、気分もあがるし愛着もわいてくる。
その製品や作品に関わるストーリーや、作者の想いがわかるとなおさらだ。

壊れたとしたも、修理してでも使いたい。
壊れたとしても、また同じものを購入したい。
こういう気持ちになるものに囲まれて生活することの幸せは、安かろう悪かろうの商品では絶対に味わえない幸福感だ。

そして私が支払ったお金が、作り手にきちんと届き、またさらに素晴らしい製品や作品に貢献できるなら、これ以上の喜びはない。

私が支払うお金が、誰かを苦しめるのではなく、誰かの糧になることを願いながら、今日もお気に入りのものたちを眺めつつ、にやにやしながら過ごしている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?