タイミングで咳払い、咳込まれた、と感じる恐怖、咳込まれ恐怖症

咳の話題に触れることは、タブーだろうと思う。ゲホゲホ!!
でも、そのことを利用して、私を殺そうとしてた人がいたこと。

咳込み、咳払いは、父親が、私の存在否定に使ってたようだから。
「末っ子はダメ人間だ」
「うちの子じゃない」
って言われ続けたから。冗談でも、ほどがある。
心に埋め込まれてる。すべて否定されているように聞こえる。

今いる家でも。孤立化。疎外感。
私は、いない方がいいはず。どこかの防音室に住みたい。

自分へのタイミングで咳払いされることへの恐怖症は、おそらく生きていけない。すべての人は咳するから。自分も咳が出る。咳喘息に近い。
しかし半世紀以上生きてる。
不思議ですね。そのことを人に言ったら「生きていけないぞ」って言われたのに。

咳の話題に触れることはタブーであろう。知ってる。その話題の瞬間に咳をしなければならない。そうしないと死ぬかもね。知ってる。事実、その瞬間に咳が出る。

しかし、そのタブーに触れるように育てられたのだ。

そんなタブーに触れるような人間とは付き合わない方がいいですよ。身のために。特に日本。

だから、私が孤立化するのも孤独で死にそうなのも、あたりまえと言えばあたりまえ。

でも、苦しいから、苦しいこと続くより、死んだ方がましってある。拷問を受け続ければ、早く殺せとなる。そういう意味で「生きていけない」ということか。

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