宮岡朋治

1973年生まれ。人生の挫折を小学生で味わい、おかげでメンタルは強い方。子育てが終わっ…

宮岡朋治

1973年生まれ。人生の挫折を小学生で味わい、おかげでメンタルは強い方。子育てが終わって、早くも老後の計画、終活まで考え始めたアラフィフ親父。

最近の記事

さよならカングー

先日、自家用車を手放した。ルノーのカングーという、フランスのクルマだ。 アナログらしさが人気の理由 今どき流行している精悍さとはほど通り、ずんぐりとしたスピード感のなさそうなボディ。荷物を載せることを重視したがゆえの狭い後部座席。衝突回避ブレーキなどの安全装置もほとんどない。イグニッション(点火装置)も、リモコンキーをポケットに入れておけばボタンを押すだけでエンジンがかかる、という仕様にはなっておらず、鍵を差し込んで回す「伝統的手法」だ。 前照灯だって、今や青白く光を放

    • 聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の損

      「だから、わしゃいま収入がないんじゃ!」 「でも、年金受給してますよね?」 「そういう話をしにきたんじゃない!」 これは、私が住む街の区役所にある、国民健康保険の窓口での会話だ。この時期、おそらく日本全国の市・区役所、町・村役場で似たようなやりとりが繰り広げられているに違いない。窓口業務にあたる職員に同情を禁じ得ない。 この会話を耳にしたのは、わが家の長男だ。彼は昨年末、会社員を辞めて大阪から自宅に帰ってきて、今は求職中の身。失業給付と僅かなアルバイト代の中から一部を生活

      • 相続放棄〜生き別れた父の死〜(後編)④

        2022.7.12(火)相続放棄手続き終わる 6月5日、家裁宛に自らの意思で相続放棄を申し立てたかどうかの「照会書」に回答したものをポストに投函した。これまでの一連の手続きは20日サイクルで動きがあったので、6月末くらいまでには何らかの進展があるだろうと思われた。 ところが、7月に入っても何ら音沙汰がない。まぁ、裁判だって審理を終えて判決が出るまでが一番時間を要したりする。 結局、7月11日に自宅ポストに「相続放棄申述受理通知書」なる書面が届き、裁判所の手続きが終わったこ

        • 相続放棄〜生き別れた父の死〜(後編)③

          2022.6.3(金)家庭裁判所から届いた照会書 相続放棄の手続きは、20日サイクルで物事が進むものなのだろうか? 4月20日ごろに戸籍の収集を終えた司法書士は、20日後の5月9日に家庭裁判所に相続放棄の申し立てを行なっている(正確には、申し立て書面を郵送している)。 それからさらに約20日後の5月27日、家裁から司法書士事務所に、申し立て書面の調査が終わったとの連絡があった。 そして数日後、自宅に家裁の封筒が届いた。自らの意思によって相続放棄を申し立てたのかどうかを

        さよならカングー

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(後編)②

          2022.5.10(火)当初予定の2倍の請求書 戸籍収集が終わって20日。司法書士からメールが来た。 メールには請求書が添付されていた。その金額を見て愕然とした。約19万円振り込め、とある。 「費用は今回ケースの場合、戸籍謄本の手数料や郵送料といった実費を含めても10万円まではかからないでしょう」 着手の際、司法書士は確かにこう話した。そして、業務依頼書にはその明細も明記されていた。 基本報酬   5万円 必要書類収集 1万〜4万円 上申書等作成 2万〜4万円 改め

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(後編)②

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(後編)①

          2022.4.20(水)戸籍収集完了 父の死を知ったのが今年2月22日。相続放棄をすることを決断し、司法書士に手続きを任せたのが2月28日。我ながら素早い決断だと思う。 しかし、その司法書士から初めてのメール連絡があったのは丸1か月が経過した4月1日だった。父の戸籍を集めている最中、という経過報告だった。岡山県で生まれ、埼玉県で結婚してぼくが誕生した後に広島県に引っ越し、母と離婚して東京に出て行った。それほど頻繁に転居をしているわけではないが、それでも4つの自治体の役所か

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(後編)①

          教えてくれたのはラジオだった-尾崎豊を偲んで-

          きょう4月25日は、尾崎豊の命日だ。30年前の1992年4月25日朝、東京都内の民家の敷地に倒れているのが発見され、病院で死亡が確認された。 この報せをぼくが聞いたのは、ラジオの夕方のニュースだった。いまも「ネットワークトゥデイ」というタイトルで放送されている、TBSラジオの全国ネットのニュース番組。ぼくは中学生の頃から、夕方になると広島カープの実況中継を聴くために地元・RCCラジオにチューニングを合わせるのが毎日の習慣になっていた。 男性アナウンサーの低い声で、彼の死は

          教えてくれたのはラジオだった-尾崎豊を偲んで-

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)⑦

          2022.2.28(月)相続か放棄か。司法書士事務所で決断 この土日、家にいる間はずっとパソコンに向かい、相続する場合と、放棄する場合の手続きについて調べていた。相続する際は銀行口座含む現預貯金あるいは債務まで調べることになる。それは時間も作業も要するし、それを弁護士や司法書士に代行してもらえば、べらぼうな金額が請求される。不動産に関しては所有している物件があるのでこれを移転登記し、その後売却すればいくらかお金は入る。リスクは父が債務を残していた場合や、父の自宅が売れなかっ

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)⑦

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)⑥

          2022.2.27(日)母のこと・弟のこと 母は小柄で、子供の頃から病弱だった。離婚前から大手スーパーでパート従業員をしていたが、父との別居後はぼくと弟を育て上げるために身を粉にして働いていた。やがて、地場の食品スーパーに職場を変え、正社員に登用されたが、決して稼ぎは多くはなかった。ぼくも弟も高校進学から無利子の奨学金(日本育英会)が借りられたのも、母の収入が低かったからだ。ぼくたちの放課後の世話は祖母が担っていたが、ぼくが小学4年生のとき、祖母は子宮がんの手術を受けて入院

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)⑥

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)⑤

          2022.2.26(土)離婚後のぼくたちと父 両親の離婚が成立したのは、1982(昭和57)年、ぼくが小学校3年生の時だった。母が珍しく泊まりがけで家を不在にしたことがある。当時、東海道・山陽本線を何本も走っていたブルートレイン(寝台列車)で東京に行くと言うので、乗り物好きのぼくは、母が何のために東京に行くのかには全く興味がなく、ただただ「あさかぜ」に乗ることが羨ましかった。裁判所に行って協議なのか調停なのかは知らないけれど、離婚を成立させてきたのだろう。 父がいなくなっ

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)⑤

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)④

          2022.2.25(金)相続放棄という選択肢 仕事の昼休みを遅めに取る。12時台だと大抵どこも昼休み中で対応しないだろうからと、こちらが時間をずらして13時過ぎにK市役所に電話をかけた。受話器の向こうから「固定資産税係の〇〇です」と名乗る女性の声。書類に書いてあった担当者の苗字と一致する。「もしもし、先日そちらからの書類を受け取った、福岡の宮岡と申します」「あぁ、ご連絡お待ちしておりました」 そんなやりとりから始まって、電話を切るとスマホの画面に通話時間17分と表示された

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)④

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)③

          2022.2.24(木)法定相続人 40年前に生き別れた父が遺した不動産。その固定資産税を払わなければならないのか、どうなのか。そして、昨晩の妻の一言ではたと気付かされた、父はどこでどのように死んだのか?さらにその遺骨や、部屋に残された遺品はどうなっているのか?K市役所に電話をしたいのだが、日中は仕事に忙殺されその暇がない。しかし、明日までに電話しないと、土日を挟んでさらに事実確認が遅くなる。 あっという間に終業時刻になった。残務を処理しているとスマホが震えた。不動産査定

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)③

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)②

          2022.2.23(水・祝)父の終の住処とは 不動産査定一括サイト、というものがある。 数年前、自宅を新築した際にそれまで住んでいたマンションを売却するために利用したことがある。住所や部屋番号、広さや間取りを入力すれば、複数の不動産買取行者や仲介業者が見積もりをしてくれる便利な仕組みだ。 K市役所から届いた「固定資産現所有者申告書」には、登録名義人である父の死亡時の住所が鉛筆書きで薄く書かれていた。一括サイトを利用する前に、Googleマップにその住所を入力してみる。西

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)②

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)①

          2022.2.22(火)市役所からの通知 父が死んだ。 寂しいとか悲しいとか悔しいとか、そんな感情は一切湧かない。 涙の代わりに床に落ちたのは「なにこれ?」という独り言だった。 2022年2月22日。仕事から帰宅すると、ダイニングテーブルの上には夕食と夕方妻が回収した郵便受けの中身が置かれていた。いくつかのダイレクトメールと一緒に、グレーの定型サイズの封筒が夕刊を座布団にして載っかっていた。「東京都K市役所」と書かれている。 「K市が何の用事だろうね?」誰に尋ねるともな

          相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)①