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霊的に成長する

[へブル人への手紙 5:12,13,14]

あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。

今日の聖書箇所
ヘブル5:1〜14

今日もヘブル書から恵みをいただいていきたいと思います。

ヘブル書は5章から大祭司なるキリストについて本格的に論じていきます。まだエルサレムに第二神殿があった当時,ユダヤ教にも大祭司がいて,いけにえを捧げ,祭儀を行っていました。

ヘブル書の著者はその目に見える大祭司は天におられる大祭司の影であり,天の大祭司は地上にいる大祭司とは比較にならないほど偉大な存在であることを教えるのです。

それを通してユダヤ教に戻ってしまうことがいかに愚かなことであるかを示し,神の御子,天の大祭司イエス・キリストにしっかりととどまり,その大祭司イエス・キリストの歩みにならう者となりなさいと教えるのです。

神の御子イエス・キリストも天における大祭司となる名誉を自分で獲得したのではなく,神に召され,さまざまな苦難の中でもその召しに従順に従うことを通して与えられました。

[へブル人への手紙 5:8,9,10]

キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。

同じように苦難の中にあるユダヤ人クリスチャンたちにその大祭司イエス・キリストにならって,苦しみを避けたり,苦しみから逃げ出すのではなく,むしろ苦しみを従順を学ぶ機会として,神の子として完全な姿へと成長していく機会としていきなさいと教えるのです。

そして同時にそうなっていかないユダヤ人クリスチャンたちの現状を見ながら著者はもどかしい思いで嘆いてもいるのです。

なぜなら彼らは長い年数,信仰生活をしてきたのにいまだに霊的な幼子であり,固い食物を受け取ることができず,霊的な乳,初歩の教えを必要とするようになっていたからです。

彼らはユダヤ人として大祭司や律法,幕屋やいけにえの血などについて表面的には知っていたと思います。しかし,その中に隠されているキリストとその贖罪の恵みについては何も分かっていなかったようなのです。

もしそれらを理解していたら,ユダヤ教に戻りたいなどとは決して思わないからです。なぜなら旧約の律法は影であり,本体は神の御子,天の大祭司キリストであるからです。本体を捨てて,影をとる人など本来はいないはずなのに,彼らはそんなことをしようとしていたと言うことです。

赤ちゃんが成長していくためには母乳やミルクが必要不可欠です。しかしそれだけでは成長がストップしてしまいます。ある時期になったならば,離乳食を食べさせなければならず,さらに固形の食べ物を食べれるようになって,初めて体に必要な栄養が行き渡り,強く健康に成長していけるのです。

同じように神の子どもたちも霊的な乳ばかり飲んでいてはいつまで経っても霊的な大人へと成長していくことはできないのです。幼子とは受けるだけで与えることができません。幼子はお世話されるだけで,誰かをケアし,成長へと導くことができません。幼子は自分のことしか考えることができず,周囲のこと,全体のことを考えることができないのです。幼子は移り気で忍耐することができないのです。

ヘブル書の著者はユダヤ人クリスチャンたちにそうならないために固い食物も食べなさいと言うのです。神の御言葉全体をしっかりと食べる訓練をして,それを理解し自分に適用する訓練,御言葉を実践する訓練を受けなさいと言うことです。

私たちもまたそうなってしまいやすいことに十分に気をつけていかなければならないのではないでしょうか?

霊的な大人へと成長したいと求めている人にはいくつかの特徴があります。第一にそのような人は神の御言葉全体を慕い求め,愛する心があります。霊的な成長がストップしてしまうのは自分の好みに合わない御言葉,自分の考えに反する御言葉は受け取らないからなのです。そうなると御言葉によって変えられる可能性がなくなるのです。

幼子が何かを食べていてそれが気に入らないとそれをベーっと吐き出してしまうことがよくあります😅幼子であればそれはしょうがないことです。しかし小学生になってもまだそんなことをしているならやはり問題ではないでしょうか?

私たちもまた自分の好みと感覚を超えて,神の御言葉全体を受け取り,理解できるように時間を投資し,訓練を受けていくことが霊的な成長にはどうしても必要になってきます。

第二に霊的な大人へと成長していく人は神の御言葉を実践することを願っています。もちろんそれは簡単ではありませんが,そのような願いがあるのです。しかし霊的な幼子から成長できない人は最初からそんなことは無理と思い込んでいるのです。

御言葉の実践へと向かうことで人は初めて愛することを学び,仕えることを学び,与えることを学び,他の人を養育し,成長させることを学んでいくのです。それが霊的な幼子から霊的な大人へと成長していくことなのです。

幼子はわがままで身勝手で駄々をこねます。しかし親はそれでもいつか分かってくれて成長してくれることを信じ,期待して,愛を注ぐのではないでしょうか?天の父は今日も子どもである私たちの成長を信じ,期待して,限りない忍耐を持って限りない愛を注いでくださっています。

その愛に応答する者となり天の父の喜び,誇りとなる役に立つ天の父の息子,娘として成長させられていくことを祈りたいと思います。主に「私の自慢の息子だ」「私の自慢の娘だ」と言われるそんな日が来ることを夢見て今日も御言葉によって養われていきたいと思います。

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