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エド・シーラン おじいちゃん、おばあちゃんを歌ったラブソング💕ナンシー・マリガン


おじいちゃん、おばあちゃんの出会いと人生を歌ったラブソング
「ナンシー・マリガン」

@rtelatelateshow 公式チャンネルより(アイルランドの番組)お借りしました。(2017.12.16)
(エド・シーランとBeogaの演奏
Beogaビョーガ?:アイルランドで結成されたケルト楽器を奏でるフォークバンド)


エド・シーランは、イギリス🇬🇧のシンガーソングライターで4度のグラミー賞を受賞している歌手です。

この曲はたくさんあるエド・シーランの作品の中で、私が一番好きなものです♪

上の動画は、クリスマス🎄の頃のものなので季節的には、ちょっと早すぎるとは思います。見つけた中で、一番、アイリッシュの雰囲気を感じられる動画でした。

まずは、ウィリアムおじいちゃんがまだ24歳でナンシーおばあちゃんと出会った頃のいきさつから始まります。

そして恋におち、家族の反対の中、宗教の違いを乗り越えて結婚した事を歌っています。

アイルランド🇮🇪は、歴史的に南部と北部に複雑な状況があり、宗教もそれぞれの地域で違うようです。

イギリスの西にあるアイルランドの島は、北部が英国領、南部がアイルランドと島の中に国境があり南北には大きな違いがあるのです。

ウィリアムの家は北部アイルランドのベルファストで、プロテスタント。
ナンシーの家は南部アイルランドのカトリックと、宗教も違ったため、結婚を申し込んだ時に、ナンシーのお父さんからの猛反対にあったようです。しかし、それを乗り越えて二人は結婚。

僕たちは、走って逃げたんだ。そして結婚した。
南と北の「ウェックスフォードの港町」の国境でね。

ウェックスフォードは南部の港町ですが英国へ渡る船が出る港です。
海を越えればイギリス。北部アイルランドと同じイギリスと南部アイルランドとの国境は地続きの地上にもありますが、海の国境は、ここにもあるわけです。
国境の街ですね。

僕が初めて君に出会ったのは第二次世界大戦の頃。
ガイズの病院の兵士たちが入る病棟だった。
あんな、きれいな女性は生まれて初めて見たよ。
そして僕はすぐに恋に落ちたんだ。

「君の美しさは黄色い薔薇のよう」

そんな素敵な言葉をちゃんと言葉にして告白できるおじいちゃんにして、この孫なんでしょうか?!

そして8人の子供に恵まれ、今、22人の孫に囲まれて幸せに暮らしている。

「あれから60年たって、君の真っ黒だった髪に雪のような白い髪が混じるようになった今でも君を愛しているよ」💕

書いてても照れてしまいそうな言葉をウィリアム・シーランおじいちゃんは、ちゃんと言えるんですね✨

下の動画では、対訳してくださっていますので、訳を見ながら、もう一度、ぜひお聴きください。

この歌は、英国領北部のおじいちゃんの孫としてイギリス人🇬🇧として育ったエド・シーランが、そんな歴史の中を乗り越えて結婚したおばあちゃんの出身地アイルランド🇮🇪風のメロディで歌った歌なのです♪

まるで映画のラブストーリーを観たかのような気持ちになりますよ。
孫が歌う「おじいちゃんとおばあちゃんのラブストーリー」です💐💛


UJ世界はラブソングでできているYouTubeチャンネルから

洋楽の歌詞和訳は、この訳を参考にさせて頂きました。


黄色いバラ」については、株式会社 名港ブリッジフラワーさんの記事をご紹介させていただきます。

黄色いバラ」の花言葉を検索すれば嫉妬、友情、思いやり等と出ていますが、特に「嫉妬」は、この歌詞の内容のウィリアム・シーランおじいちゃんの思いにふさわしくありません。

それで「黄色のバラ」の由来を調べました。その中で一番詳しい情報が上記のものです。
それにあわせてWikipedia、農林水産・技術振興協会等のネットで見つけた「バラの歴史」の記事をまとめました。

バラの歴史は古くさかのぼれば、3000万年前以上昔に遡るという説もあります。

馴染みある原種は、もともと中央ユーラシア、北半球の温帯地域に自生していた原種から始まっているということです。バラの生まれ故郷として、1番有力な説がヒマラヤの渓谷あたりではないかと言われています。そこで生まれ交配、分化しながら北半球の温帯地域に広がっていったと言われています。(農林水産・技術振興協会「バラの歴史」より)

チベット、中国雲南省からミャンマーにかけてが主産地となります。
その美しさが人々の目に留まり、中近東からヨーロッパへと広まっていきます。

バラは、ヨーロッパにはペルシャから伝わったと言われています。いわゆるオリエント世界の花でしょうか。
バラが人類の歴史に登場するのは、紀元前2000年前のクレタ島の壁画、さらに古代バビロニアの「ギルガメシュ叙事詩」だそうです。また、ギリシャ 紀元前400年頃のヘロドトスの歴史」にも登場します。(同「バラの歴史」より)

白やピンク、赤が一般的だった中、ペルシャでしか育てられなかった黄色いバラ「ロザ・フェティダ・ペルシァーナ

1900年代に入って品種改良し、「ソレイユ・ドール」がうまれました。
さらにイギリスでは、ハイブリッドとして「ペルシアン・イエロー」がうまれます。
その黄色から始まり八重やオレンジに品種改良していったバラの歴史について、株式会社 名港ブリッジフラワーさんが興味深い話を紹介されています。

ウィリアムおじいちゃんがナンシーに出会った1940年代「黄色いバラ」は、とても貴重なバラだったと思います。
花屋で見かけた貴重な「黄色いバラ」を今まで見たこともない程、
「この上なく美しいナンシーマリガン」に例えたように思います💐💛


姫野ばら園 八ケ岳農場記事より引用

上記は八ケ岳農場で育てられている貴重な親種「ロサ・フェティダ・ペルシァーナ」の写真です。清楚で、きれいな黄色が際立つ美しさです
💛


参考文献:
農林水産・食品技術振興協会「バラの歴史」より

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