変性意識状態でお散歩した話7 (3つの言葉)

さて、もう7つめにもなってしまう変性意識状態でお散歩した話ですが、そろそろこのあたりで一区切りかな…と思ってます。

全部読んでくれた人はいないかもしれませんが、自分の中に、いつかこの体験を、他の人に読んでもらえる形で残したいという思いがあったので、
拙いのは承知の上でも、なんとか形にすることができてホッとしている気持ちがあります。

やはり、言葉にできたら、繋がる場所ができるという感覚があるものです。

そのように「表現」と、力を入れて形にしなくとも、
日常生活の中で、自分は自分をまといながら生きているのだから、それを「表現」と捉えるなら、その表し方でただ暮らすだけで繫がるような縁もあるはずです。

しかし、インターネットを介した縁というのは、なにかしらの意図的な表現を媒体にして、隠れたたくさんの縁を炙り出す性質があるように思います。

そのための表現手段の一つが文章であると思うので、形にして、世界に放ててホッとしてます。

だから、読んでくださった方、いらっしゃるなら、本当にありがとうございましたm(_ _)m

それで、この散歩中、何度も頭の中に上がって来た言葉があるので、それのことを書いて今回の「変性意識状態でお散歩した話」を閉めようと思います。

それは、「なにがあっても、大丈夫、愛してる、ありがとうで乗り越えられるよ」ということでした。

トンネルで持っていかれそうになったときも、周りの人の目が気になってしまったことも、不安やネガティブな気持ちになることも正直ありました。

そんなとき、「大丈夫、愛してる、ありがとう、大丈夫、愛してる、ありがとう…」と唱え続けるとほんとになんともないんです。

この言葉は自分にもだし、すべての対象に対して使えます。

たぶん、敵としてみなさないと、なんにも怖くないんです。

どんなに自分が弱くても、関わる人も現象も、味方なのだという世界観で生きていきたいなって、書いていて思い出しました。

変性意識状態でないときも、このことを知って生きていきたいな。すぐ忘れるものだからさ。

読んでくださってありがとうございましたm(_ _)m

それじゃあ、このあたりで失礼します。🙏

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