変性意識状態でお散歩した話3(裏見の世界)

今夜もお疲れさまでございます🙇🙏
昨日の続きのお話、神社に入っていった所からです。

私ははじめての町を散歩していたので、その神社もはじめてだったのですが、その場所は「穴」だという感覚がしました。

そこに入ったことで、「穴」に入ったのだと、その場所に教えてもらいました。

そして、穴に入る前の世界が表なら、穴に入ることで裏にいくようです。

また、裏には、「うらみ」の存在がいるとのことで、それは「裏見」「裏巳」「恨み」と、複数の表現ができるようでした。

どうやら、「裏から見る」というのは、「生殺与奪やそれ以上の影響を与えている側から見る」ということのようで、

例をあげると、トリップシッターとして幻覚を見ている人を見ていてあげるとか、

他の例なら、認知症で不安な気持ちになっている人を介助する介護者であるとか…

みたいな、ある種、精神的に迷子になっている人に影響をあたえられる存在であることが、
「うらみ(裏見・裏巳・恨み)」の存在であるということのようでした。

その立場になったとき、だれしもが、神のように救いを与える存在にもなれるし、悪魔のように絶望を与えることもできる万能神となり得ます。

この「うらみ」という穴は、家畜をと殺する人間が、と殺される家畜側から見られる視点でもあり、
権力者が下々の人を見る視点でもあり、
また、例えるなら宇宙人が地球人に向けるような視点でもあるようです。

しかし、その視点は悪意があるものとは限らず、表側の存在が単に「恨み」として気分を悪くする必要はないのです。

むしろ、もし
「あなたが、たいくつだ、老いてしまった、醜い、情けない…と思っているその瞬間のあなたこそがなによりも裏の側に立っており、様々な存在に対する生殺与奪権を持っている。あなたは介護する側の人間なんだよ。」

このメッセージは本当に私にとって、人生を変える素晴らしい贈り物でした。

知覚のメモリが足りずに、捉えきれない幅や時間の中にも、与えてあげられる存在はいる。
見て触れて感じられる、例えば自分の持ち物なんて、意識を向けてあげられるのってもしかしたら自分だけじゃないのか。

そんなことを穴の中で感じました。

そのように、裏から世界を見させていただいたのは、貴重な体験で、日常に生かしていかないといけないな…と感じました。

また、これ表側からみると、生殺与奪を人に握らせない精神状態の表現にもなっているように思います。
また書きますね😊

読んでくださってありがとうございました!m(_ _)m✨🙏

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