大きな命


小さな命ってよく言うけど大きな命もあるのかしらね~(笑)

ずいぶん昔の話ですが、大阪の海遊館に初めて行って、いきなりジンベイザメを見たときは、この「大きな命」を前になんとも言へない気持ちになりました。
どうしてもメルヴィルの『白鯨』を思ひ出してしまふ。ちなみに『白鯨』は、大学に入ってすぐに授業で原文を読まされて、英米文学は無理だ、一ページごとに何回辞書引いたかしれない、専攻を間違ったと思って、入ったばかりの大学を早々に辞めてしまふ原因になった作品です。

以下、ネタバレです。



白鯨は、わたくしには、キリスト教文化からみた自然といふもので、自然の中でも人間に、神から自然を支配してよろしいと許可をもらったはずの人間に、昂然と反抗する自然といふ感じがしました。
ああいふものは許せない。なぜなら、まったく理解できない、あんなに大きい生き物はあってはならない。
すでに白鯨に挑戦して片足を喰ひちぎられてゐるエイハブ船長は、白鯨を殺すのは白鯨が存在してゐるからだといふ意味のことを延々と述べます。

神道に、神社神道ではなく、幻の原始神道に親しみを感じるわたくしは、白鯨をとことん追ひ続ける船長とは、自分たち人間がそれによって片足を喰ひちぎられた産業革命、その産業革命以後も、科学技術の追求をやめられない人間の姿を象徴してゐると感じました。
キリスト教はどうころんでも自分たちを滅ぼす科学を生み出す宿命を持ってゐたし、科学は人間をエイハブ船長にしてしまふ宿命を人間にもたらすものでした。
科学は白鯨を許せない。

大きな命に銛を打ち込んだエイハブ船長は、銛を繋いだ繋索によって自縄自縛となり、深海に潜航してゆく白鯨によって真っ暗な海の中に引きずりこまれていきます。しかも、エイハブが白鯨に銛を打ち込んだことによって白鯨が引き起こした巨大なvortexは、エイハブが船長をしてゐた捕鯨船ピークォド号をバラバラに砕いて乗り組み員もろとも、海に呑み込んでいきます。
何もかもがvortexに呑み込まれたあと、語り手だけが海上に浮いてゐる。これが、たぶん、人間の近未来の姿なのでせう。

vortexとは、(水・空気・火炎などの)渦。デカルトの渦動のことがメルヴィルの描写の背景にあったといふのは、『白鯨』の解釈では、通説といふか定説です。宇宙のあらゆる現象は渦である。
つまりは、キリスト教的世界観も、この渦の中に呑み込まれてバラバラになるといふわけです。

白鯨とは何か?
わたしは、AIだと思ってゐます。
AIを許せない人の中には、スピリチュアル系の概念を銛にしてAIに挑まうとしてゐる人たちもゐます。
それがどういふ結果になるのか?
小説『白鯨』とは違ふ結末であってほしいとわたくしは思ってゐます。


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