父親とわたし

オカマってなんで女言葉なのかしら?
わたしが女言葉を使ふのは、からだの感覚として。
詳しく書くと、いやらしい話になるからこれ以上書かないけど、女言葉のときは、いはば、全身くねくねさせてる感じですね。
ほんと自分でもキモくてキモくて。
わたし髭生えた爺いなのよ。それで「~なのよ」ってグロ過ぎる。こんなふうに自虐的に言ふのは、女言葉と自分の容姿身体のギャップが耐へ難いからです。のたうちまはってる感じ。
 
「あたしは」とか言っているところに、今、わたしの父親が出て来たら、日本刀で斬られると思ふ。
女の子の友達からもらったお人形をどこに行くにも抱いてて、ちょっと大きな声で叱ると泣き出すわたしを見て、
「なんで俺にこんな出来損ないができたんだ」
と、ほんとに頭抱へて、おとうさん、あなた、ほんとに悲しそうに、嘆いてたよね。
他のまともな子と取り替へたいって言ってたよね。
 
ちょっと前にわたしが書いた『初恋』といふ文章には、こんなところがあります。
 
初恋の男性。
わたしはまだ十歳。
その男の人は、名前も知らない。顔もおぼろげになってる。
怖くて痛かったけど、父親に叩かれて泣いてるのと全然違った。
ゆきづりの人に「いたづら」をされただけなのに、初めて父親と同じ性の人から愛されたとわたしのばかなからだが勘違ひした。
それから、男の人に叩かれるのが好きになった。
 
 父親は、わたしにとっては怖いだけの男だった。いつどんなことで怒りだして、怒鳴られて、叩かれるかわからない。父親が家にゐると、わたしは、いつもどこか身体が強張ってゐた。『そんなこと』といふへんな短編に書いたやうに、自分でも何歳からかわからないときから、毎日寝る前に自慰をしてゐた。さうして身体と気持ちをほぐさないと眠れなかった。
 
 
わたしは「おとうさん」の望む男になりたかった。
男の子はみんなさうかも。お父さんがどんな男が男だと思ってゐて、自分の息子にもさうなって欲しいと願ってゐたら、男の子はそれを目指す。といふより、それが自分。幼児期までは親の望む自分しか自分のイメージを作り出す手がかりがないんだから。
幼い男の子は「親の欲望を生きる」。
お父さんの期待に添ひたい、といやうな生易しいものではなくて、父親がかうあってほしいといふ自分でないと自分でない、自分が消えてしまふ、そんな深刻な切羽詰まった思ひで親の描く理想像がどういふものかを探り、それを自分に重ねようとする。それが、仲間ができるまでの男の子。
仲間ができると、父親の理想像とは別の自分を、今度は、仲間から自分がどうあることを期待されてゐるかによって修正したり、場合によっては完全に父親の期待するイメージを破棄したりして、児童期の自分を創っていく。
このときに、父親の理想像を修正できなかった人の場合、その人の心理療法で目標となるのは、親離れ。
さういふ人の親離れは、けっこう難しい。
恨んでゐると、親からは離れられない。
恨みといふのは、相手に対するしがみつきだから。
謝るまで絶対にこの手を離さないといふわけだから、親から離れて自立するのは難しいわね。
 
あたしは、ぼくは、俺は、親父をまだ恨んでるの。
 つまりは、ぐずぐずとまだ(この歳になっても)父親が好きで父親にわたしを好きになってほしいのですね。

わたしは、父親に誇ってもらへる男になりたかった。  
父親の一番の望みは、世の中のわるい奴らを法の力で成敗する(と父親が思ってた)検事にわたしがなること。東大の法学部に入れって、幼稚園の頃から言はれてた。
わたしは彼がそんなことを息子に言ってしまふ、彼の生ひ立ちを誰よりも知ってた。
といふのも、わたしをお風呂に入れるのはいつも父親で、父親だけで、母親はまったくわたしとお風呂に入らなかったので、わたしは、父親からいろんな話を聞かされてた。
聞かされたといふより、独り言みたいなものだったと思ひます。お風呂以外では、まったく聞かなかった話ばかり。
生ひ立ち。少年時代。青年時代。母親との出会ひと結婚と結婚後の、つまり今までの生活、仕事のこと、悔しいこと、悲しいこと、辛いこと、腹が立つこと、彼は思ひつくことなんでも言ってた感じです。今、気づいたけど、ネガティブなことばっかりね。
でも、それも仕方ない。彼の人生はほんとに不幸。今でもわたしは、少年のとき、青年のとき、そして、わたしに話をしたころの、それぞれの、父親の気持ちを思ふと(おおげさだと思はれさうですけど、他にいいたとへが無いから使ってしまふけど)胸が張り裂けそうになる。

わたしなんかまだ動く人形みたいなもので、何を言っても何にもわからないと思ってたんだと思ひます。実際、わたしは子供で、なんの反応もしなかったし。だから、なんでもかんでも話してしまってた。
わたしは、父親が身体のどこも隠してゐない姿で、なにからなにまで話すのを、わたしもどこも覆ってゐない裸で聞いて、いつのまにか、わたしが彼のことを誰よりも知ってると感じてしまってゐたやうです。

まだ若い頃に観た、アクション映画にこんなのがありました。
凄腕のボディガードが、世界的に有名な美しいファッションモデルを警護する。大活躍がしばらく続いた後、床にぶちまかれた牛乳を見て意識が遠のいてしまふ。
精神科医のところにいって分析を受けると、白色を見ると銃が撃てなくなることがわかった。けれども、分析を重ねても、なぜ白色なのかはわからない。
さうしてゐるうちに、白色が弱点だと気づいた敵に、白い幕で覆われた部屋に誘ひ込まれてしまふ。
ボディーガードはパニック状態になりながらも、そこで、突然、少年の時、賭博師の父親を救えなかった記憶がよみがへる。
そのボディーガードの父親はカードゲームの賭博師だった。ヤクザの開く賭場でいかさまをして稼いでゐたのだが、いかさまを疑はれだしたときには息子に秘密の合図をした。その合図があると、自動車のキーを預けられた少年は、父親自慢の愛車のシボレーを裏口にこっそりと廻す。父親は機を見てそこに走り、車に飛び乗って少年とともに逃走する。
その自動車で、少年と父親はふたり、北米を転々としながら、そんな危ない仕事を繰り返して生活してゐた。母親はゐない。
或る日、少年は、父親の合図を見落とし、父親はヤクザに捉へられ、すぐさま射殺される。少年はそれをすべて見てゐた。その父親の車は、白色だった。
父親の合図は、ジッポライターに火を点けること。その時、どういふわけか火が点かなかった。少年は合図を見落としたと思ってゐたのだが、実は、合図が無かった。父親が手持ち無沙汰にライターをいぢってゐただけだと勘違ひしたのだ。
そんな記憶が一挙に戻って来て、周囲を覆った真っ白な幕を見ても意識ははっきりしたままとなった。
それでも、ボディーガードの男は、いかつい顔を悲しそうに歪めながら、
I’m sorry, Father.
と囁く。
 そして、幕の陰に隠れてゐた宿敵に向かって銃を撃った。

・・・といふ、ベタな映画をみてぼろぼろ泣いた記憶があります。ほんとに泣けて泣けて、
I’m sorry, Father.
といふセリフは、ボディーガードを演じたその俳優の音声と共にはっきりと記憶にあります。

社会的に死んだ父親を救えなかったわたし。

ゆきづりの人に「いたづら」をされただけなのに、初めて父親と同じ性の人から愛されたとわたしのばかなからだが勘違ひした。
それから、男の人に叩かれるのが好きになった。
 
その後、やめようと思ふのにやめられなくて、結婚しても妻様に頼んでしまってゐた。
とんでもないヘンタイ。
どういふヘンタイかっていふと、セックスのときにママに抱かれる赤ん坊になりたくて妻様に縛ってもらってたマザコン男。
でも、それだけぢゃなくて、わたしは、もしかして、セックスのとき、S男性達に罰してもらはうとしてたの?
快楽に溺れて快楽の叫びをあげてたつもりだったのに、
I’m sorry, Father.
と泣いてただけだったの?
わたしのヘンタイは、性愛を通して母との関係(関係といへるものが無かった)を構築し、父との関係(あるにはあったけど失望させるだけだった)を修復しようとする、どっちとも、何度やっても実現しない試みの、しつこいしつこい繰り返しだった、…ってこと?
ほんとベタな解釈でイヤんなる。

 めちゃくちゃにされたい
 殺されてもいい
そんなふうに思ってた。
わたしは今でも男性に対してそんなことをしてほしい気持ちが残ってます。
妻様と穏やかに暮らしてゐるけど、身体が覚えてゐるのは事実。
そんな肉の願ひと、父親に対する思ひが、境もなく繋がってしまふのは、おぞましい。
なんか吐きそう。
でも、繋がってしまった。
父親といつもお風呂に入ってたそのときに、わたしはすごく見てた。
父親は白人の血の混じったお母さんから生まれた男だったから、長身で彫りの深い顔してて目は灰色で筋肉質で、・・・。
わたしは、すごく、見てた。
フロイトは、幼いころ、若くて美人のお母さんの全裸を見て恍惚となったとか。とんでもないヘンタイの男の子だわ。精神分析では、さういふのを「原光景」とか呼ぶんだ、つまりは両親のベッドシーンを見たってことだとフロイトは臆面もなく書くわけよ。
最低ね。
わたしより、ましだけど。

今、期待してるのは、白色に反応しなくなったボディーガードみたいに、わたしも、反応しなくなること。
そんなふうになりそうな感じはあります。
全然無くならないけど、なんか、遠くからのもの・・・にはなりさうです。

なってほしいです。

 

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