熊は憎しみもなしに撃ち殺せ

「こんなこと分かる? 私の気持ちを分かってほしいんだよ。憎しみもなしに銃を撃つことなんかできないさ。これは戦争なんだ、狩りじゃない。政治教育の時にイリヤ・エレンブルグの『奴を殺せ!』という記事を聞かされたことを憶えている。ドイツ人というドイツ人は片端から殺せ。有名な記事で当時誰もが読んでいた。暗記したものさ。この記事には深く感動した。戦争の間中いつもバッグに入れて、これと父の戦死公報を持ち歩いていた。撃て! 撃て! 私は仇をとるんだ」

『戦争は女の顔をしていない』
                   三浦みどり訳・スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ

憎しみもなしに銃を撃つことなんかできないさ。
これは戦争なんだ、狩りじゃない。


狩りなら、殺せるんだ。
憎しみもなく殺せるって、人としては異常だと思ふんだけど、
いくらでも殺せて、
狩りって趣味なんだから、
殺せて、それが楽しいんだ。

死体を吊り下げて喜ぶ趣味よね。

で、戦争の話になって
「狩りぢゃない」って何?
わたし、意味、わかんない。

つまりですね、
憎しみや復讐でなく楽しみで、サイコパスみたいに動物を殺せて、戦争はいやがる人たちって、わたしには違和感。

戦争は愚かしいとか言ふわけよ。

スポーツとしての狩りも愚行だといふ感性が無いのが不思議。
釣りなんかで喜んでる人にも、わたしは、呆れる。

魚は痛みもあり、自己意識もあるって研究が出て来てるけど、そんなの、見たら、じょーしき(コモンなセンス)で、わかるぢゃんって思ふ。

家畜において、それを食べたり道具にするといふ文化が日本には無かった。皮を剥ぐ仕事の人が蔑まれたのは、そんな奇妙な文化から生まれた差別だったと思ひます。


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