サディズムとマゾヒズムはお里が異なる

わたしが縛られて叩かれたいとか人に言へないヘンタイな気持ちを持ってゐたのは、
お母さんにぎゅっと抱っこされて身動きできない赤ちゃんになりたかったから。
それは初めからわかってゐたけど性癖から抜け出せなかった。

或る女の人が或るとき
きみを産みたい、わたしの赤ん坊として育てたい
と泣きだしたのをみて、
どうすることもできないと思ってゐた欲望の炎がみるみる鎮火して
恥ずかしいけど愛と呼ぶしかない、小さな蝋燭の灯だけになった。

サディズムは男性の本性。
マゾヒズムとお里が違ふ。
男性は、女体を突き通し、生きたままバラバラにしたい。

破壊と殺戮。それが男性の本能
この本能があるから、複雑巧妙な人間社会も構築して、しかも紛争や戦争を使って維持できる。
おかげでこんなに快適な文明生活を、わたしたちは、享受してゐる。
男性に感謝できない人は電気ガス水道の無い山奥か荒野で暮らしてほしい。

サディズムは男性の心底からの願ひ。

男尊女卑は強姦が正常位である男性にとっては当然の倫理。

女が演じるサドの女王様。
これほど滑稽なものは無い。

サドの女王とは、そんな男性の際限なく徹底的な女体破壊の欲望に脅えた人が自らを男根化けすること。

あの鉄鋲付きの皮革で念入りに柔らかい身体を鎧ひ、
男性を踏みつけて嘲笑ふ女王様こそが、
女の脆弱さと女の男性に対する底知れぬ恐怖(そしてそれこそが女が男性に惹かれてしまふ要因のひとつでもある事実が女にはどうにも腹正しいのだが)の戯画的な具現

サドにしろマゾにしろ、
それぞれのお里を一度は訪問するべきではないだらうか。
面白い発見があることを、わたしは、保証する。


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