乳母猫と生まれ変はり

或る人から、妻とのことで質問を受けた。
ちょっと話がエグイから、こっちで返事しようっと。

妻との出会ひが、一種のシンクロニシティなんぢゃないかといふ件。
シンクロニシティのことはよくわからなんですが、ちょっと気になってることはあります。

乳母猫が亡くなった年と妻が生れた年は近いか、重なってて。
これ、割合、最近気づいた。

さうなると、わたしは、乳母猫と結婚しちゃってることになります。

エディプス・コンプレックス(知らずに実の母親と結婚したオイディプスがお父さんを殺しちゃふとかいふ神話が元になってるそうですね)の話みたいになっちゃうんで、フロイト先生を喜ばしてしまふ。

でも、わたしは母に対しては愛も憎しみも無い。
これは、憎むよりつらい。

わたしのこころの中には、母なるものが無い。

さうなると、人のこころの底に穴が空く。
基底欠損。

まあ、それを救ってくれたのが、乳母猫だったんだと思ってます。
穴は空いてるんですが、そこに猫が入ってる感じ。
ずっと、実際に、猫にその心の基底にある欠損を埋めてもらって、なんとかかんとかごまかして生きて来た。
妻は、その猫のひとり。
あの人は、本質的に猫。

見る人が見れば、わかるみたい。
実の猫の写真展をしたとき、来てくれた人の中で、ある年配の女性が、突然、
「あ!」
と声を上げた。そして、猫の写真と妻を何度も何度も見比べて、
「そっくり」
と驚いてました。

わたしにまったく愛情の無かった母には、わたしも、何も感じない。感じることができない。
愛憎はむしろ父親にある。
わたしの、性志向が男性に向くのは、そのせいかも。
しかもただホモってだけでなく、男性に縛られたりして辱められたいといふ気持ちが強い。
まあ、端的に言ってホモのマゾの変態。
さういふことされてるとき、おんなになってる。
我ながら、キモい、です。

気持ちワルイ話でごめんなさい。
このあたりは、ヤバいので物語化してしまひたい。

最近、自分の中にずっとあったロリコン趣味(小学生の女の子が好き、もちろん、性的な欲望はなくて、自分がその子になりたい、あの肉体の中に入ってしまひたい、そして、男性に愛されたいといふ、こんがらがったキショクわるい・ヘンタイな気持ち)を、物語化したら、自分なりにすっきりしました。

若いとき、わたしは、才能無いなと思って、小説を書くのをやめた。小説は天与の才能によって創り出される。だから、才能の無い人が書いても無意味だと悟った、と思った。

確かに、才能が無いと小説書いても他人には意味が無い。
ですが、この歳になって、また書いてみて、小説を書くことは、自分にとっては、すごく意味があるなと感じました。

最近、書いた『妹のブラジャー』といふ短編を読んでもらったら、
「自分のために書けばいいってずっと言ったでしょっ」
と妻に言はれました。

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