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センシティブ

これから書こうとしていること、
題名にどーんと書くわけにはいかず「センシティブ」ということばを思いついた。

センシティブなわたしがセンシティブな話題を書く



人は生まれたら死に向かっていく
子どもの頃はそれがすごく怖かった。
某感染症のはじめのころ、まだテレビを見ていた時代。
連日の報道に恐怖心を煽られて、死の恐怖に引きずり込まれそうになり、
テレビを見るのをやめた。

その後、生と死はセットで避けられない。
死を迎える理由はわからないのだから、
ただ自分のやれることをやって過ごそう。
力みすぎず自然体でいよう。
そうやって受け入れられた。



ただ、
子どもをもうけるもうけない産む産まないすらわからないけれど
子どもを産むというリミットがあるということがよぎるととても怖かったり
子孫を残すという本能的な部分が叫んでいる感じがする。


センシティブゆえ
こう考えているということを言うことすら、苦しかったりするんだよね
という話。
(子どもを産むのが当たり前、子どもの有無が会話の入り口みたいなのも苦しい)

子どもがいてもいなくても
わたしはわたしで、
あなたはあなたで。
というのが今のところしっくりきている。


サポートのエネルギーを循環させていきます。