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「カレーの国から’21帰郷」

5年ほど前、僕はとあるブログで

こんな事を声高にのたまわっていた。

「カレーっていう問題」

華麗、加齢、カレー2つ目以外は僕には関係がない最初のは置いといて最後のやつカレー

これを嫌いな日本人には会ったことがないと言うくらい今のジャポンは華麗ではなく
カレー文化、つまりカレカルが浸透している
東京カレー番長なる人が本をたくさん出版したり
Facebook には東京華麗倶楽部なる宗教団体が存在するし、
国民栄誉賞の日本人メジャーリーガーはカレーだけをエネルギー源にヒットを量産している

正直僕はカレーにそんなに興味がない
でもあんまり声を大にしては言ったことがない
これは、特に男子界では異端扱いされるからだ
隠れキリシタン的問題だ
カレーだけに踏み絵ならぬ踏みウ●コもまのがれない事態である
まだ足し算すらままならないうちに
カレー味のウ●コ と ウ●コ味のカレー
の選択という無利難題をもつきつけられるこの国
給食の時も
献立がカレーシチューというだけで朝から 落ちつきを失い半狂乱状態の御学友を横目にニーチェやらカントを読みふけっているクールな僕ちゃんであった。
話はそれたが
要は僕がそんなにカレーに興味が無いってだけ

と、
このような、興味がないなら書くな!と過去の自分にカレー味のウ●コをぶっかけてやりたいようなことを書いていたのです。

しかも、ほとんど誰も読んでいないのにである(恥ずかP)


しかし、人って変わるもんですね。人生って不思議なものですね〜♪(歌/美空ひばり 作詞・作曲/小椋佳)
という訳で、僕のカレー観は357度変わった。もう少しでもう一回カレーに興味が無くなるくらい現在はカレーを食べている。

そもそも、現在加齢によるあれやこれやに悩まされている僕がカレーに興味を持たなくなったのは、家庭環境が大きく影響している。

前にも書いたように、ジョンマン家は他のご家庭とは"食"に関しては大きく違っていた。
当時の世論調査によると、嫌いな男性のタイプの第一位が「カレーが嫌いな人」(93%)-総務省調べ-

だったかどうかはわからないが、夕飯のレパートリーにカレーが無い家庭は存在していなかったと思われる。

しかし存在していたのである。

ジョンマン家の一族だ!


その呪われた一家の家長パパジョンマンはママジョンマンにカレーなんてものをリクエストした事がなく、幼少の僕は涙のリクエストを心の中から母に送っていたが、最後までリクエストを届けることは叶わず、
ジョンマン家は文科省認定"カレーが食卓に出ない家庭"に指定されたかは定かではないが、ともかくカレーに接する機会が極端に少なかったのは確かである。

そうなるとカレー抗体が身体に形成されずに成長し、年を重ねるごとに出現するスパイシーやらムルギーやらなカレーに対する免疫が無いので、周りのカレー熱との温度差が生まれ、そんなにカレーに興味が無いふりをしながら裏びれた日陰路を歩み続け、しまいには幼少の頃思っていた「カレーなんて食べるのは華麗じゃない」なんていう自分の記憶を美化してしまう「モトカレー症候群」に陥ってしまうのである。

時は1980年代末のバブル景気真っ最中であった。
"イタ飯"なんて言って、最初は炒飯と勘違いしてしまうような名前でイタリアン全盛期が始まり、
高校時代の華麗な僕はデートにはイタ飯、学校ではハヤ飯と青春を謳歌していた。
そんな時代にカレーなんてウ●チの親戚のような食べ物は全く華麗じゃなかったのだ。
それが、泡がバチンと音をたてて弾けた頃からだろうか、カレーは表舞台に少しずつ登場し始め、人々の価値観の中でカレーはどんどん"お洒落な食べ物"へと昇華していった。

スパイスのあれやこれなウン●ク(この●はいらないだろう)を異性に語る男がモテる時代に突入したのである。

昭和初期の太古より知られてきたカレーというのは、カレーのルーなる物体をお湯に溶かすだけの代物だった。それが、様々なスパイスを駆使した南インド風や玉ねぎをアメ色やらキツネ色などこだわりの炒め方でチャツネてゆく老舗欧風カレー、はたまたスリランカや中東系など、もはやシルクロード横断ウルトラクイズのような壮大な番組?に発展してゆくのである。

そして2020年、僕は仕事の一環として避けては通れぬ“カレー”というものに体当たりで挑んでゆくのである。

続く

と、なりそうなくらい眠いが、ここは瞼にシャープペンシルを突き刺しなが頑張ろう。もう深夜10時を回っているが、、、

夏に向けて「やっぱ夏と言えばカレーでしょ!」というチーム内の単細胞な多数(ジョンズオフィス総従業員数3人/アルバイト含む)意見に押され、夏のキャンペーンをカレーにしようと決めた2021年初頭。
とりあえず、周りに居るカレー好きに美味しいカレー屋を聞いて食べ歩きならぬカレ歩きを始めた。

「ナイルレストラン」や「エチオピア」などの老舗系から始まり、地元(三茶)の名店シバカリーワラcaril、五反田の迷店「うどん」(ちなみにカレーうどんは無い)

とにかくカレまくった。

最初こそは、慣れないスパイスに何度「道」を諦めようと思ったことか、

2度くらいだったろう。

しかし、ある時塩分など基本調味料の味のさらに奥のほうから舌ではなく身体で味わうような旨味を感じたのである。そして、もともと辛いものは苦手なのであまり辛く無いものを選んで食べていたのだが、それにも関わらず汗が止まらず、食べ終わった後の脳内が痺れるような爽快感ときたら、奥さんまるで、、、

とにかく、僕の中のカレーメンが産声をあげた。


そして、トドメとなったのは20数年来の友人で東京カレー番長の創設者である水野仁輔の存在である。(ちなみに20数年間、彼とカレの話、じゃなくてカレーの話は一回もしたことは無い)

えっ、水野仁輔って誰かって?

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こいつである。丸をしなかった方が水野仁輔である。
これまでにカレー本を40冊以上出している精神異常者である。

彼が現在やっているAIR SPICEという、いろんな種類のスパイスカレーを、具材だけ揃えれば短時間で作ることのできるスパイスセットがあって(http://www.airspice.jp/)
最近はこれを結構作っているのだが本当に全部美味しく、毎週末カレー三昧の日々を送っている。

こうして、僕は霊長類最強の(アレクサンドル)カレーリンと呼ばれるようになった。
最近では、若い女性からカレー臭がすごいですね、と褒められまくっている自他共に認める

(カレー)ナイスミドルである。

話はそれたが

要は僕がいまカレーに夢中ってだけ!


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