2024/01/26 ファックが嫌いなビッチ
名指された瞬間に形を得る、その呪術的な言葉の力を駆使して、私は仕事をする。自分がぺてん師のように思えて苦しむ夜もある。それでも私は言葉に魅了されていて、使いもできない術を何度も使って、周囲を動かす。これは特別なことではなく、すべての人が程度の差こそあれ行っていることだ。ただ私は直接的に言葉を扱う仕事だから、敏感になっている。
編集者も店子(たなこではなく、みせこ)も、言葉を使って仕事をする。後者の方が罪悪感が少ない。刹那的なぺてんだと、客もわかっているから。でも、編集者としては、割り切れない場面がたくさんあった。ビッチ!お前は全然ファックが好きじゃないのに、なぜ悦んでいる?
彼/彼女にとっては、人生をかけた創作なのだ。それを締切だの売上だの言って、言葉巧みに犯す罪を背負っている気がしてならなかった。読者もきっと喜びますよ。それは嘘じゃない。でも、私には別の目的があるから、そのためにそう言って騙しているような気になってしまう。
私の言葉はどこにある? 私の心はどこにある?
できないことをできないと言えないのがつらかった。私を見ないでほしい、私を信じないでほしい、なぜならただの労働者でしかないから。心がないのに、心があるふりをするのはつらかった。
でも今になれば、私なりに彼/彼女のことを思い詰めるほどに思っていたと言える。どうでもいい人が相手なら苦しまなかった。どうでもよくなんかなかった。
*
どうしたら自分は健常者になれるのか、ずっと考え続けていた。
暴力に憧れた。私に振るわれた暴力。それは私を傷つけ、同時に魅了した。弱者のフェティシズムが、強者の権力を温存する、そういう生き様に名誉があると思っていた。
それを今でも拒絶できない。頭でわかっていても。
でも、闘う方を選ぶ。
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